塩竈は古くから陸奥の国一の宮として知られた、塩竈神社の所在地です。一の宮というのは、その国の国司として赴任してきた人が真っ先に参拝する神社で、また何か事があると最初に報告に訪れた神社です。以下格式によって、二の宮、三の宮、四の宮と続きますが、多忙な国司はいちいちその都度それぞれの神社を参拝する事は事実上不可能でした。そのため国府多賀城にはこれらを合祀した総社というものが設けられていましたが、多忙とはいえ、国司は必ず塩竈神社を参拝したと考えられています。
その塩竃神社縁起ですが、「昔、塩焼きの神様がこの地に降りて来て、人々に塩焼きの方法を教えた。今でもその時使った釜が残っており、別宮が管理している」といわれるのが塩竈神社の縁起です。今でも塩竈神社では塩作りの神事が行われていますが、「藻塩(もしお)焼く塩竈」、あるいは「塩竈の浦」という使われかたがされています。塩竃の浦というのはうら淋しいという時に使われる歌枕でもあります。
陸奥(みちのく)はいづくはあれど塩釜の
浦こぐ舟の綱手かなしも 古今和歌集・東歌
ふる雪にたく藻の煙かきたえて
淋しくもあるか塩釜の浦 新古今和歌集・九条兼実
見し人の煙となりしゆうべより
名ぞむつましき塩竈の浦 新古今和歌集・紫式部
と詠まれています。
そして、塩竈神社からは小さな「離(まがき)の島」という島が見えます。ここは、昔、塩竈神社造営のとき曲がり木を用いて巧みであったという、離島明神を祀る祠(ほこら)がある島と伝えられています。
わが背子をみやこに遣(や)りて塩釜の
まがきの島のまつぞこひしき 古今和歌集・東歌
の歌が残されています。そして松島・雄島にも数多くの歌が残されています。
松島の磯にむれるる盧鶴(あしたづ)の
おのがさまざまみえし千代かな 詞花和歌集・清原元輔
松島や雄島の磯にあさりせし
海女の袖こそかくはぬれしか 後拾遺和歌集・源重之
百人一首には
見せばやな雄島の海女の袖だにも
濡れにぞ濡れし色はかはらず 千載和歌集・殷富門院大輔
などの和歌が残されています。
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