このような歌枕を訪ねて、今から300年前松尾芭蕉がみちのく入りをしますが、松尾芭蕉は松島へは塩竈から小舟に乗っての松島入りでした。小舟の目の前に展開する230の島々を眺めながら、中国の詩人杜甫の詩句を引用しながら、「抑(そもそも)ことふりにたれど、松島は扶桑第一の好風にして、およそ洞庭・西湖に恥じず。東南より海を入れて、江の中三里逝江の潮(うしほ)をたたふ。島々の数を尽して、そばたつものは天を指さし、ふすものは波にはらばふ。あるは二重にかさなり、三重に畳みて、左にわかれ、右につらなる。負へるあり、抱けるあり、児孫愛すがごとし。松の緑こまやかに、枝葉汐風に吹きたはめて、屈曲おのづからためたるがごとし。その景色よう然として美人の顔(かんばせ)を粧(よそほ)ふ。ちはや振(ぶる)神のむかし、大山ずみのなせるわざにや。造化の天工、いずれの人か筆をふるひ詞(ことば)を尽くさむ。」と、松島を有数の景勝地として称えた紀行文を『奥の細道』に書きとめています。
この他の県内の著名な歌枕、歌の一部を紹介します。
不忘山
みちのくの阿武隈川のあなたにや
人忘れずの山はさかしき (古今和歌六帖)
武隈の松(岩沼市)
栽(うえ)し時契りやしけん武隈の
松をふたたび逢ひ見つる哉(後撰和歌集)
阿武隈川
君が世にあぶくま河のむもれ木も
氷のしたに春を待ちけり (新古今和歌集)
名取川
陸奥にありといふなるなとり河
無き名とりては苦しかりけり(古今和歌集)
十符(とふ)の菅こも(利府町)
みちのくのとふの菅(すが)こもななふには
君をねなしてみふにわれねむ(袖中抄)
緒絶の橋(古川市)
みちのくの緒絶(おだえ)の橋やこれならん
ふみみふまずみ心まどはす(後拾遺和歌集)
小黒崎・みつの小島(鳴子町)
おぐろ崎みつの小島の人ならば
宮このつとにいざといはましを(古今和歌集)
姉歯の松(金成町)
栗原の姉歯の松の人ならば
都のつとにいざといはましを(伊勢物語)
栗駒山
陸奥(みちのく)の栗駒山のほほの木の
枕はあれど君が手枕(古今和歌六帖)
奥の海(石巻市渡波)
尋ね見るつらき心の奥の海よ
汐干(しほひ)の潟(かた)のいふかいもなし(新古今和歌集)
遠島(牡鹿半島)
夜と共に袖のかはかぬ我が恋や
としまが磯によする白浪(金葉和歌集)
袖のわたり(石巻市)
陸奥(みちのく)の袖のわたりのなみだ
川心の内に流れてぞすむ(新後拾遺和歌集)
どうして、わたしたちのこのみちのくが第三の歌枕の国として、とりわけ宮城県にこれほど多くの著名な歌が残されているのかを紹介します。
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