広域仙台都市圏の5市8町1村は、古くは4つの郡にわかれていました。南から亘理郡(山元町・亘理町)、名取郡(岩沼市・名取市)、宮城郡(仙台市・塩竃市・多賀城市・松島町・七ヶ浜町・利府町)、黒川郡(大和町・大郷町・富谷町・大衡村)です。
郡名のいわれは諸説ありますが、亘理郡は「和名抄(わみょうしょう)」に和多里とあり、川の渡しを意味しておりそれが語源と考えられています。
名取郡は、アイヌ語のヌタトリ(湿原)によると考えられています。
宮城郡は古代の陸奥国(むつのくに)の都が多賀城に置かれ、みちのくの治府として「宮なる城の所在地」から、「宮城」の名が定着したと考えられています。
黒川郡は、中央を貫流する吉田川が鉱水のため、かつて黒い川であったことから黒川の地名が付けられたと推測されており、郡名が歴史上初めて現れたのは「続日本紀(しょくにほんぎ)」のなかで、742年以前に郡が成立をしていたと考えられています。
宮城県の県名は、古い郡名宮城郡にその根拠を求めていますが、1888年(明治21)宮城(きゅうじょう)の制が定まったとき、宮城の県名が皇居と同一であるのをはばかった県当局は、とくにその筋の内意を確かめ、その上でこのいわれのある県名を存続させたと伝えられています。
仙台藩祖となる伊達政宗は、関ヶ原の戦がおこなわれた1600年12月24日拠点としていた名取郡北目城から午前8時国分氏の旧城千代城に入城、高砂・田村・野々宮・養老・猩々の五番の能が舞われ普請始めの祝儀がおこなわれました。政宗はこの国の末永い繁栄を言祝いで、
入りそめて国豊かなるみぎりとや
千代とかぎらじせんだいの松
と詠んでいます。この当時、仙台の地名は「千代」と書いて「せんだい」といっていましたが、政宗はそれを仙台に改めました。
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