トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
史都に刻んだ明治天皇の想い出
2004年8月2日


  
 1876年(明治9)6月2日、明治天皇は、巡幸中の庶政を太政大臣三条実美に委任、仮皇居を出発されました。千住まで皇后が見送られ、50日間におよぶ東北巡幸の旅に出られたのです。従うものは右大臣岩倉具視、内閣顧問木戸孝允、宮内卿徳大寺実則、侍従長東久世通禧ら200人を越える人々が供奉しました。近代日本における天皇巡幸は、明治天皇の六大巡幸と昭和天皇による戦後巡幸に集約されます。いずれも明治維新後と敗戦後という政治的危機のなかで、天皇をシンボルとした国家統合の試みであったとされています。
 東北・北海道巡幸に先立ち、5月22日内務卿大久保利通は先行して現場を訪れ、地方官と協議を尽くしながら巡幸の段取りを練り上げていきました。
 午前7時頃から赤坂皇居には、有栖川宮、そして三条実美をはじめ多くの顕官が続々と伺候しました。午前8時天皇が出御され、皆の拝謁を受け、酒饌(酒と食物)を賜りました。9時30分皇后とともに、千住駅に向かわれました。通り道には、近衛練兵陸軍楽隊、近衛砲兵、鎮台兵諸隊、陸軍歩兵、海軍銃楽隊はじめ多くの人々が、威儀を正し整列し見送りました。正午、千住の横尾竜助宅で昼食をとられ、ここで皇后と別れを告げられました。
 6月22日宮城に入られ、6月27日仙台榴ヶ岡から松島へ向かわれました。鎮台兵が原町に並列し、オーシャンの曲を奏し兵士は棒銃の礼を捧げてお見送りしました。11時30分頃行在所となる瑞巌寺にご到着されました。瑞巌寺、観欄亭、五大堂、石浜、寒風沢、桂島など数々の島を見て松島の美しさを堪能されました。30人ばかりの漁師が天皇にお見せするため、観欄亭の近くから五大堂にかけて遠浅の所へ、前もって仕掛けておいた500余間の簀のなかに入って引き潮の時を見計らって竹のざるをもって魚を伏取っています。泥に足をとられないように、一尺四方の板を草鞋の下に付けています。
 6月28日午前6時、松島の瑞巌寺をご出発され富山大仰寺で小休止、松島を一望、遙か彼方には金華山が望めます。そこへこの近くの沼から採ったという大きな鯉・鮒などを近所の人が持ってきて、天皇にご覧いただきました。松島観欄亭から船に乗られ塩竈へ向かわれました。船頭は一つ一つ島を指さしながら天皇に島の名前を紹介、島々の間をぬうように進んでいきます。景色はさらに身近に感じ、古今和歌集の東歌「陸奥はいづくはあれど塩竈の浦漕ぐ舟の綱手かなしも」が、脳裏をかすめます。12時塩竈にご着船、塩竈神社の東側にある勝画楼(旧法蓮寺)に入られ、昼食をとられました。ここは松島湾が一望でき、先ほどまでとは異なった景色をお楽しみになられました。夜にはいるとこの浦のあちらこちらの船が篝火を灯し、海上にはたくさんの灯籠が流され、幾万もの光が幻想的な世界を創り出しています。天皇はこれをご覧になられ、静かな夜は更けていきました。
 6月29日午前6時侍従番長高崎正風に命じて志波彦、塩竈両神社を代参させました。7時に勝画楼を出発され、板輿に乗られ奥州一宮塩竈神社をご参拝されました。宮司落合直亮ら神官等が出迎えました。天皇は社前からは徒歩で境内を見て歩かれました。侍従から二社に宣命並びに幣帛料金四円と神饌料12円を賜りました。なお本社には伊達氏歴代の寄書や宸翰や古器珍物があり、天皇は一つ一つご覧になられました。また和泉三郎奉納の燈籠まどをご覧になった後、午前8時板輿から馬車に乗り換えられ、多賀城へ向かわれました。
 野田の玉川、都島、末の松山、沖の井などをご覧になられました。そのころには雨模様になりました。
  おりしもあれ空かき曇り五月雨の
    雲の浪こそ末の松山    岩倉具視
 その後、多賀城趾並びに多賀城碑をご覧になられ、それぞれが感慨を込め歌や漢詩を読みました。
  旅衣あとたつ袖をふきかえす
     松風すずし浮島の原     明治天皇御製
  いくさとゝ道しるしつる跡とめて
     みゆきかしこき多賀のいしぶみ 東久世通禧
 その後、多賀城村菊地市兵衛方でお休みになられました。玉座の間は御次の間と一棟をなし、4間半に3間の木造茅葺きの平屋で、70余年前杉の大木一本で造った建物です。桐の御紋章を白に染め抜いた紫縮緬の幕を張り、檜材の手摺りを廻しています。屋敷の外廻りには菊の御紋章を黒く染めた幔幕を張り儀仗の騎兵等が内外の警護をしています。天皇は、絨毯を敷き詰めた10畳の間に軍服姿で椅子に腰掛けられしばしのご休息を楽しまれました。ここで同家秘蔵の多賀城の瓦が天覧に供され、多賀城碑の五色の石摺りと城址案内図が献上されました。9時10分ご出発され午前10時少し過ぎ、岩切村の吉川忠右衛生門宅で昼食をとられました。午前11時10分沿道の人々の盛んな見送りを受け仙台榴ヶ岡の行在所に戻られました。明治天皇が多賀城を訪れてから130余年の悠久の歳月が経過をしていますが、政庁跡には、旧仙台藩士・内閣総理大臣高橋是清の明治天皇御聖蹟の石碑がいまに往事をしのばせています。