掬(むす)ぶ手に涼しき影を
慕うかな清水に宿る夏の世の月 西行
手ですくい上げた清水に夏の世の月が映った様は、涼を誘います。私たちが清水を失ってからもうどれほどの時間が経過したでしょうか。昭和三十五年頃までは、北上の山に分け入ってもそこかしこに清水が流れ、それを手で掬い上げ喉を潤した記憶が鮮明に蘇ってきます。プールのなかった当時、北上川はもちろん小川も用水堀も子供達の格好の遊び場でありました。田んぼにもたくさんの小魚、昆虫が生息し子供達はこれらを追い回していました。
子供達は大人の優しい眼差しに見守られながら、大自然の中で伸びやかに心を豊かに育んでいったのです。今よりずーと貧しかったけれども、夢と希望をもって生きてきたように思います。そんな美しい故郷の山河は、昭和三十年代後半から急速に変わってしまいました。山野は開発という名のもとに荒廃し、貴重な緑や清水が失われてしまいました。変わったのは自然ばかりではありません。私たちの多くは衣食住が満ちれば満ちるほど、大切な心を失っていったのではないでしょうか。
私たちの住むこの地域は来年新しい市に生まれ変わります。この市に私たちは何を期待するのでしょうか。いや期待するのではなく私たち一人ひとりが確固たる信念をもってこの町を創り上げていかねばなりません。文化や教育を大切にし、生きとし生けるものを大切にする、そんな心をもったたくさんの人たちの住む町にしなければなりません。(登米祝祭劇場友の会会報より)
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