われこそは新島守よ隠岐の海の
あらき浪風心して吹け 後鳥羽上皇
逆境のはて、傷心の極みにあって、まさに「治天の君」の気迫に満ちた歌です。折口信夫がこの上皇の歌風を「至尊風」といいましたが、まさに至尊風の力を示して余人には真似のできない詠いぶりです。この詠いぶりは明治天皇にも共通しています。
あさみどり澄みわたりたる大空の
広きをおのが心ともがな
年どしに思ひやれども山水を
くみて遊ばむ夏なかりけり
国民のおくりむかへて行くところ
さびしさ知らぬ鄙の長みち
一首目は、凪いだ湖のおもてのように、むらのない明るく広い心えをもった自分でありたいという気持ちを詠んだものです。
二首目は、毎年山深い谷川のすずしい山水を手に汲んで、心を豊かに遊ばせたいと思いつつ、多忙のためかなえられない心のうちを詠んだものです。
三首目は、どんなに疲れていようとさびしかろうと国民の送迎に接すると忘れてしまう歓びを詠ったものです。
天をうらみ人をとがむることもあらじ
わがあやまちをおもひかえさば
最後の歌は、自分も過ちを犯すのだから、他人をとがめることなどすまいとする心のうちを詠んだものです。日本近代の黎明の時代、真摯に重責を果たした明治天皇の気迫が伝わってきます。気品あふれる心意気を見習いたいものです。
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