トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
辻輝子先生を囲む会歓迎挨拶
2005年4月1日


 
  
  英壇、年之先、仙台之新地に城を築く。
  城中の飛楼湧殿、一々金銀也。美なる哉輪、
     美なる哉奐、東国の洛陽城と言うべき也。
        (慶長一五年  英壇ー政宗のこと)
 これは、四百年前仙台城が落成したとき政宗の師虎哉宗乙が詠んだ詩です。古代中国の名城、洛陽城に倣った仙台城の美しさ対する最高の讃辞を述べたものであります。(引用文献「伊達の文化誌」濱田直嗣著 創童舎)
 それから四百年の時を超えて、本日、辻輝子先生を東国の洛陽ここ仙台へお迎えし「陶の華コンサート」が盛大に開催されましたこと私どもの慶びとするところであります。先生を敬愛されている日本を代表するアーチストの皆さま、演出を担当された牛山剛先生を始めとする皆様方の献身的なご尽力、そして全国各地から駆けつけていただいた皆様方のご協力の賜でもございます。心から感謝を申し上げます。
 日頃から辻輝子先生を私淑している詩人の星乃ミミナさまは、東国の洛陽ここ仙台を拠点に戦争のない平和な一つの地球をテーマに、「アジア少年少女愛と夢のコンサート」を始めとする多彩な活動を世界へ向けて発信されておられます。その仙台へ全国各地から皆様方にお越しいただいたこと大変嬉しく存じております。心から歓迎申し上げます。
 辻先生におかれましては長い作陶活動を通して、多くの人びとに夢と希望を与え、また豊かな心を育んでこられました。先生の作品は高雅な気品に溢れ、温かいぬくもりが伝わってまいります。それはご幼少の頃から一流のものに囲まれお育ちになられ、、一流の人々と交流しながら切磋琢磨された方だけが持つ、研ぎ澄まされた感性に裏打ちされた作品であるからと拝察するものであります。先生におかれましては、これからもご健勝でさらなるご活躍をされますこと心から祈念を申し上げるものであります。また私ども後進のためにも今後ともご指導ご鞭撻を賜りますように改めてお願い申し上げます。
 辻先生お越しの東国の洛陽ここ仙台は古くは宮城野といわれ、歌枕の国みちのくの中心として、数多くの秀歌も詠まれてまいりました。
源氏物語『桐壺』には、
  宮城野の露吹きむすぶ風の音に
        小萩がもとを思ひこそやれ
   と若宮を小萩にたとえてその身を案じた和歌のこされていますし、その本歌となったのが『古今和歌集』にある、
  宮城野のもとあらの小萩つゆをおもみ
          風を待つごと君をこそまて
であります。その他にも宮城野と萩と鹿を組み合わせた和歌が数多くのこされており、宮城県の県花は宮城野萩、県獣は鹿であります。
  宮城野に妻よぶ鹿ぞさけぶなる       もとあらの萩に露や寒けき 『後捨遺和歌集』藤原長能
  宮城野の萩やをじかのつまならむ
      花さきしより声の色なる  『千載和歌集』藤原基俊
  宮城野の小萩が原をゆく程は
      鹿のねをさへわけて開く哉 『千載和歌集』覚延法師
  小萩原まだ花さかぬ宮城野の
    鹿やこよひの月になくらむ   『千載和歌集』藤原敦仲
 それから千年の悠久の歳月が経過をし、明治二十年代失恋の思いを胸に東北学院の教師として一時期を仙台で過ごした島崎藤村は、夕暮れ時ともなると宮城野の一角に立ち尽くし遠く潮騒の音を聞きながら、
  心の宿の宮城野よ 乱れて熱き吾身には
  日影も薄く草枯れて 荒れたる野こそうれしけれ
  ひとりさみしき吾耳は 吹く北風を琴と聴き
  悲しみ深き吾目には 色彩な  き石も花と見き
     と詠いました。ほとばしる青春の思いを悩み抜いた鬱屈の果てに詠いあげた記念碑的な詩集『若菜集』の一節です。同時期仙台二高の土井晩翠は、「星落秋風五丈原」で知られる漢詩を駆使して雄渾な詩集『天地有情』を発表し、同じ時期に仙台出身の落合直文は短歌結社のはじめとされる浅香社をおこして与謝野鉄幹らと歌文革新運動をおこしています。皆様方お越しのこの仙台、古くは宮城野は、歌枕のくにみちのくの中心としてまた、日本近代詩発祥の地としても知られています。
 このように多くの人々が憧れた宮城野、九百年前の歌人源俊頼は、この宮城野の美しさを通してみちのくの美しさ奥床しさを絶唱し、
  さまざまに心ぞ富むる宮城野の花のいろいろ虫の声ごえ
という和歌を『千載和歌集』にのこしています。
なんと美しくなんと心豊かになる歌でしょうか。辻輝子先生、そしてお集まりの皆様方今宵楽しい想い出のひとこまを東国の洛陽ここ仙台へお刻みいただけますこと期待申し上げ、歓迎の言葉といたします。
平成16年12月5日   勝山館に於いて 伊達宗弘