戦後日本は、荒廃した国土の中から一歩一歩復興に向けた努力を積み重ね、今では世界有数の経済大国として、物質的な豊かさを享受している。
その一方で私たちは、清く美しかったふるさとの山河の変容を見過ごし、先人が営々と築き上げてきた歴史や文化を無造作に忘れ去ってきた。
子供の頃私たちは清らかな川の中で魚と戯れたり、秋空に舞う赤トンボの下を、大いなる自然の恵みを感じながら、より明るい明日を信じて元気に走り回っていた。今とは比較にならないほど貧しくて苦しい日々の生活であったが、豊かな自然と温かく優しい大人たちに見守られ、伸びやかに幼い心をはぐくんだ。私たちの世代は「あなたのふるさとは」と聞かれた時、美しく豊かな山や川、心躍らす祭りや風情ある町並み、幼なじみの友や恩師の顔をすぐ想い出すことができる。
大人になり、ふるさとを遠く離れて異郷に暮らす人も、そのままの地で生活する人も、共に私たちの世代の多くは、自分たちの精神的な拠り所であるふるさとの原風景をきちんと胸に刻み込んでいる。これは、たいへん大切なことである。生活や仕事に疲れた時、あるいは困難に直面した時や挫折しそうになった時など、自分のふるさとを持っていることは、何よりも心強い力の源泉となる。
これを踏まえ、視点を転じてみよう。
今も東北は豊かな水や緑が多い地域というイメージがあるが、実態はどうなっているのだろうか。私の住む町は北上川の中流に位置し、昭和三十年代後半までは、山のいたるところに清水が流れ、川や用水路にはたくさんの魚が見られ、子どもたちにとっては恰好の遊び場であり、学習の場であった。しかしここ四十年で多数の清流が失われてしまった。一見豊かに見える緑とて同じことだ。山に一歩足を踏み入れると多くの山は病んでいる。戦後植林した杉の手入れをされないまま放置され、太陽の光が地面に届かず、樹木の下には下草も生えないで地肌をあらわにしている。一旦雨でも降れば、土砂が流出して山はさらに荒廃し、河川やダムに大量の土石流をもたらすことになる。国土は確実に荒廃しているのだ。 大量の赤字国債と同様に、次代の人達に国土維持の多大な負担を残すことになる。採算性だけではなく国土管理の上からも、骨格となるべき樹木の選定や配置について徹底的な調査検討を重ね、自然災害も含めて長期的な視点から山林等の保全を考えなければならない。
すこやかな環境確保や保護への努力のかたちが、ひいては山紫水明なるふるさとの景となり、動植物の命のつながりは元より、人々の心をも育む大いなる揺り籠となる。そのようなところをふるさととする人は、自然な気持ちで地域の歴史や文化についても自信をもって次代を担う人たちに伝えていけることと思う。
国際化や情報化が進めば進むほど、私たちは自分たちの周りを見直し、大切なものは何かその価値を再認識することも必要になってくる。機械や科学に依存している今日だからこそ、それ以前から人間を豊かにしてくれているものに気持ちを向け直し立ち返るべきである。豊かなる山河は豊かなままで、手当てすべきは手を尽くし美しい姿として、未来へ引き継いでいきたいものである。
私たちの世代にはその責任がある。
(これは平成17年4月5日付河北新報定期論壇へ執筆したものです。)
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