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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
私の読書日記『水の道具誌』山口昌伴著
2006年12月3日


 
  
 私たちは、清く美しかったふるさとの山河の変容を見過ごし、先人が営々と築き上げてきた歴史や文化を無造作に忘れ去ってきたのではないでしょうか。 私の住む町は北上川の中流に位置し、昭和三十年代後半までは、山のいたるところに清水が流れ、川や用水路にはたくさんの魚が見られ、子どもたちにとっては恰好の遊び場であり、学習の場でありました。しかしここ四十年で多数の清流が失われてしまいました。
 山口昌伴著『水の道具誌』は、かって私たちの周囲に息づいていた、「たわし」「雑巾」「井戸」「用水路」「手回し洗濯機」など、急速に失われつつあるそれらの道具を訪ね、そこに込められた水づかいの叡智をたどり、いま何が大切なのかを示唆を交えエッセイ風にとりまとめています。
 水は壮大な水系をたどり海に注いでいます。その水系の途中に住む人びとの水の使いぶりが、水の惑星地球の健康の重大な鍵でもあるという視点でとらえています。
 水は生命の源で世界の何処の地域においても大切に扱われてきました。地下を流れる水に聞き耳をたて、水の滴の音を楽しむ水琴窟を創り上げたのは江戸時代の人の感性のなせるわざです。
 活水の知恵・節水の思想についても触れ、水の道具を見つめなおしていくことが、水の惑星を美しくしていくことだと述べています。
 お茶を美味しくいただくことだけを目指して芸道にまでのぼりつめた茶道のように、水を大事に美しく扱う「水の道」(水づかいの作法)があってもいいのではないかと提言しています。
 国際化や情報化が進めば進むほど、私たちは自分たちの周りを見直し、大切なものは何か、その価値を再認識することも必要になってくるのではないでしょうか。
 機械や科学に依存している今日だからこそ、それ以前から人間を豊かにしてくれているものに気持ちを向け直し立ち返るべきではないでしょうか。豊かなるものは豊かなままで、手当てすべきは手を尽くし美しい姿として、未来へ引き継いでいくことが私たちの世代の責務であると再認識した珠玉の一冊です。
(これは平成18年11月22日産経新聞に掲載されたものの再掲です)