江戸草創期の指導者の見識
それでは身近な江戸時代はどんな時代だったでしょうか。ご承知のとおり江戸時代草創期、幕府や各藩の国づくりにおいて、政をあずかる人達がみせた見識は、今もなお光彩を放っています。どうしてでしょうか。それは長く続いた戦乱の状態がどれほど多くの人々に塗炭の苦しみを与え、貴重な伝統文化を破壊し、心までも荒廃させたかということを、彼らはしっかりと認識していたからであります。その認識が二百六十余年にわたる幕藩体制を築き上げる原動力になったのです。世界に例をみない泰平の世は、さまざまな分野の芸術文化を高め、日本人の心を豊かに育んだのであります。
その礎を築いた徳川家康は、風流や趣味のためではなく、国を治める理論や倫理としての学問を重んじました。唐の太宗と群臣との政治論議を編集した『貞観政要』などに着目し、治国安民を理想とする主旨から政治上のヒントを得ようと努めたのであります。治道の規範として政治家の必読書とされたこともあり、執政に関わる者たちにも読むことを勧めました。したがって家康は学者を大切にしました。なかでも林羅山の信奉する朱子学を採り入れ、これを育成する土台をつくったのであります。朱子学は社会秩序を固定的な、自然的なものと考えるところに特徴があり、宇宙の原理を論じ、階級の必要性も説いた学問であります。この教義は現代には当てはめることは出来ませんが、天下を掌握した家康にとって、これは都合の良い教えでありました。羅山は将軍の顧問として徳川四代の長きに仕え、幕府の典礼と文化を重んじる礼文政治をかたちづくることに貢献したのであります。
体制強化の牆壁としての朱子学は、結果的に学問を普及させ朝野に多くの知識人を輩出したのであります。この知識人こそ、幕末から明治維新の黎明期において、西欧文化を適切に消化し、日本の近代化を進める原動力となったのであります。
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