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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
北上川見聞記
2007年6月22日


 
  
 平成19年6月22日、北上川水系河川整備学識者懇談会のメンバーの一人として視察に同行した。当初はヘリで岩手のダムも含め水系全体を上空から視察する予定であったが雨交じりの曇りの天候のため急遽、マイクロバスでの視察になった。
 学識者としてのメンバーは元横浜国立大学大学院環境研究院教授菊池多賀夫氏、東北文化学園科学技術部環境計画科准教授木村美智子氏、東北大学大学院工学研究科教授澤本正樹氏、石巻専修大学理工学部生物生産工学科教授高崎みつる氏、それに宮城県図書館長の私伊達宗弘である。
 国土交通省からは東北地方整備局渥美雅裕河川調査官、北上川下流河川事務所の三石慎也所長、鳴子ダム管理所の新田定雄所長が同行した。
 10時、仙台駅の政宗騎馬像に集合。マイクロバスは南インター経由で古川に向かった。新江合川分流点、江合川・旧北上川合流点でそれぞれの歴史的背景や役割についての説明があった。「なるほど、上流、中流、下流と水に関する利害も錯綜し、時には対立の構図もあるのだ」。
 昼食は登米のウナギで有名な東海亭で。私の住んでいる町を視察で訪れるのも不思議な気持ちだ。何となく気恥ずかしい気持ちで店に入った。北上川を眺めながらしばし地図を片手に渥美専門官の説明に耳を傾けた。話しぶりからこの域まで達するともう学者だと思った。もちろんその域に達しないと並み居る学者を相手に計画づくりの話は出来ないだろうが。渥美専門官のバスの中での話しぶりから最初は大学の先生だと錯覚をしてしまった。河川事務所と鳴子ダムの二人の所長もやはり専門家だ。
 昼食の後、登米市中田町から東和町にかけての相模土手、曲袋を視察。400年前の私の先祖にあたる登米伊達家の祖・伊達宗直の北上川改修の偉業を改めて再確認した。やはり偉かったのだ。宗直に限らず当時の人たちの国づくりにみせた見識と実行力は目をみはるものがある。
 旧北上川の分流施設鴇波洗堰・脇谷洗堰(登米市豊里町)を視察した。この堰は通常は一定水量を旧北上川に流しているが、北上川が増水し水害発生の危険が迫ったとき閉門、水を全て本流に一本化し追波湾に流すことによって旧北上川の水量を抑制し、下流の石巻を水害の被害から守ろうとするものである。私は川をただ漠然と眺めてきたが、上流の6つのダム、洗堰などが複雑に機能分担し、時には引用水、灌漑用水を調整し、また渇水、洪水に備えているのだと。人間の知恵には恐れ入った。石巻の旧北上川河口部の石巻閘門、運河交流館を視察した後、三陸自動車道経由で仙台へ向かった。
 視察団と別れた後、仙台駅から東北本線に乗って新田駅に向かった。車中忘れないように「北上川見聞記」として、記録をとどめた。2度の会議を通して2年間の学識経験者としてメンバーに入れられた自分の役割がおぼろげながらわかってきた。せっかくの機会なので、北上川そして名取川の流域の歴史や文化、そして何よりも川について見識を深めようと心新たにし家路を急いだ。