仙台五代藩主吉村(一六八〇〜一七五一)は、元禄十六年(一七〇三)襲封、四十年の長きにわたり藩政を担当しました。熱意をもって内政改革に当たり、一門衆の反撃をよく抑えて財政の再建に力を尽くすとともに、文武を奨励し、綱紀粛正に努め、産業の振興にも力を入れました。伊達家歴代中、政宗についで最も詩人的素質にも恵まれ、生涯を通じて詩歌にも情熱を傾け安定した時代を現出し「中興の英主」といわれています。
吉村は襲封した翌年、二十五歳のとき将軍の許可を受けて初入国しますが、彼の記した『道の記』から、史都にとどめた想い出をたどってみます。
今年の四月、将軍から帰国の許可を受け旅支度を整えて五月十日江戸を出発し、遙か遠いみちのくへ向かいました。久し振りのふる里への旅は懐かしく心ときめく旅で、父母をはじめ懐かしき人々の想い出が脳裏に去来しました。二〜三日間、五月雨に見舞われたあとようやく天気回復しての旅立ちでした。
五月雨は空にはれても旅衣
なほ袖しぼるけさの別れ路
途中の道々で田植えにいそしむ人たちの姿や旁らで餌をついばむ鶴の姿を目の当たりにしました。
千世もあかす行くれとをく道のへの
たのもに近く田鶴の鳴くらん
春日部では眠れぬ一夜を過ごしました。
身にはまたならはぬ旅の草枕
いかでぬる夜の夢だにも見ん
途中の道々、人々の生活をつぶさに見ながさまざまな思いを胸に北への道を急ぎました。
すむ民の家居しられて山もとに
一村ふかく立つ煙かな
古河、小山を通り筑波山を眺めながら宇都宮に入りました。日光への参拝はかつて光宗朝臣(二代忠宗嫡子)が参拝し、その後四代綱村朝臣が参拝していますが、この度は私の初入国でもありせっかくの機会なので参拝することにしました。
けふははや空さへ晴れて日の光
あまねき神の恵みをぞ知る
鬱蒼と茂る杉や松並木を通り抜けながら黒髪山を見やり陽明門や東照宮を参拝しますが、とりわけ曾祖父政宗の献上した鉄銅製の燈籠には感無量を感じました。
再び宇都宮から北上、白河の関を越えますが、いにしえの能因法師のことが脳裏に去来しました。
夏衣うすきながらに秋風は
またでもこゆる白河の関
郡山、二本松、福島、白石を経由して名取川を渡り仙台に入りました。仙台で初入国に伴う諸行事を済ませた後、領内を見て回りました。
真っ先に陸奥国一の宮塩竈神社を参拝することにしました。途中市河村の民家の後にある壺の碑を見ましたが、源頼朝の詠んだ和歌を思い出しながら、自分も一首詠んでみました。
いつの世に書きとどめてか水莖の
あともたえせぬ壺の碑
浮島を遙かにみやりながら進みました。
浪のうへの根さしもしらぬ浮島に
おひて千とせの松はふりせぬ
野田の玉川などを見ながらまもなく法蓮寺に立ち寄り、衣装を改め塩竈神社の神前に進み出ました。春から社の造営を行っているため、この日は仮殿への参拝です。奉幣のあと太刀一振・神馬一匹を奉納し和歌一首を詠みました。
たむけても色なき露の言の葉を
この神垣の外にちらすな
お釜の水は大変清らかに澄んで神々しいばかりです。聞くところによると国が荒れているときは水の色も変わり、豊かなときは澄んでいるということです。 塩竈神社を後にして舟で松島へ向かいました。波は穏やかで眺めは抜群です。歌枕として著名な籬島(まがきじま)を身近に見ながら舟は進みました。
漕ぐ舟の浪のゆききはめに近く
むかふまがきか島もへだてず
船子たちの歌声に情緒を感じ、みやこ島などにも思いをめぐらせ昼もだいぶ過ぎてから月見崎の仮屋(観欄亭)に入りました。左は五大堂、右には雄島が見えます。夕日の松島の景色は画にも描けない素晴らしさです。
たが筆にうつしもとるらん浪の上
夕日に浮かぶ沖の島々
この夜は更けるのも忘れ松島の美しい眺めを満喫しました。松島の旅を終えた吉村はその年の秋、故郷の宮床へ向かいました。宮床館では弟の宗興が温かく迎えてくれました。宮床で懐旧の想い出を刻んだ吉村は、まもなく江戸へ向かい、多忙な政務に復帰したのです。
何それと見し世の夢を思い出て
けふのうつつの袖もかわかず
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