いろいろなところで講演しているが、必ずといっていいほど私がいままで出版した本を買い求めた人が、その本を持参し講演の終わった後、サインを求めてくる。当然求めには応じてはいるがいつも躊躇する。悪筆なのだ。どう見てもサインすることによって本の価値を損じてしまうのではないかなと思う。いや損じているのだ。先日、大学1年の息子が私の書いた字を見て呟いた。「家でお父さんが一番字が下手なのだね」。そばにいた中学3年の娘がすかさず、「これは字なの」と呟いた。
振り返ってみれば小学校4年の頃、私の字のあまりにも下手なのを見た同級生が「伊達君、このようにして書くといいよ」と、いくらか字らしい字の書き方を教えてくれた。定規を使用して一つ一つ線を組み合わせながら字を書くのだ。四角四面の字が完成した。嬉しかった。これだと読める。それが私の字の基本となっていったので、四角四面の面白みのない私の字が出来上がった。ラブレターを書いてもこの字を見たら誰でもうんざりしてしまうだろう。
八方美人は言う。「誠実なお人柄が現れていますわ」。率直な人は言う。「せっかくだからすこし字の練習をしたらいいわ」。気の利いた人は言う。「個性的な字ですね」。早くメモ書きをすると字が先祖帰りをして、後で書いた自分でも読むのに一苦労。買い物など忘れないようにメモして、店に行きいざそれを見たとき、なんと書いてあるか読めないこともある。
以前のことになるが、毎月行われる県議会常任委員会の時のことだ。部長に議員が質問した。当時企画広報担当補佐だった私は、私の得意分野の質問が部長になされた。急いでメモ書きし部長へ渡した。部長は適切な回答をした。私は得意絶頂、自分で自分を褒めてやりたい衝動にかられた。後で部長に呼ばれた。「伊達君、先ほどは有難う。ただ何が書いてあるかわからなかった。でもうしろで私を一生懸命フォローしてくれようとしている人のいるのを知って嬉しかった。有難う」。それほど私の字は悪筆なのだ。
先日、県内の高校の図書部員が先生に引率されて図書館を見に来た。帰るためバスに乗り込んだら女子生徒が先生に「私は作家としての館長のファンで、今日会えたらサインをしてもらおうと思っていたが会えなかった」と残念がっていました。よろしくサインをお願いしますとその生徒が一番好きだという『武将歌人・伊達政宗』を先生が手紙とともに送ってきた。サインはした。しかしこの字を見たら、私のイメージが崩れるだろう。これをフォローするにはいくらか得意の手紙を書こう。次のような手紙を、サインした本に添えて彼女に送った。本を書いていると、いろいろなことに出会うものだ。
待詫びてまどろむ程の暁に
心ありけな初ほととぎす 政 宗
ほととぎすは夏の季語。政宗はことのほかほととぎすの鳴き声を好んだといわれます。過日はお会いできず残念でした。政宗を好きな若い人がいらっしゃることお聞きして嬉しく思います。
三年生は卒業を間近に控え、進路のことについてもいろいろお悩みのことと存じます。最近私が実感している一番大切なことは、心身共に健やかであること、常識的であること、協調性があること、そしてなによりも何時も前向きに向上心をもって努力することです。
A子さんは、これからいろいろな人たちに出合い、いろいろなことを体験しながら大きく飛翔されていくことでしょう。私からそんな祈りを込め、「峠」をテーマにメッセージを贈りましょう。
「 私たちの住むみちのくの山々は、神宿る山であり雲の生まれるところであり、また水を涵養し、多くの幸を私たちにもたらし続けてきました。
山の彼方には、まだ見ぬ見知らぬ豊かな世界が広がり、古くから人々は山の彼方にあこがれてきました。いつの時代も、人々は山を越えようとしました。物資の輸送や信仰、さらに戦争のため山を切り拓き、道を造りあげてきました。こういう営々とした営みの中で「峠」が誕生したのです。峠という字は漢字ではなく、「山の国」日本人の感性がつくりあげた会意文字です。
峠に立つと、今までとは違った景色や風に出会うことがあります。峠を越えることは未知の国へ足を踏み入れることであり、無限の可能性に向けた第一歩であり、また「心の転折」を得る場所でもありました。
英国の著名な女流冒険家イサベラ・バードは、明治十一年七月宇津峠を越えて米沢に入りました。彼女は、『日本奥地紀行』というすぐれた紀行文を残していますが、その中で彼女はその時の感動を、次のように記しています。
「私は、日光を浴びている山頂から、米沢の気高い平野を見下ろすことができて、嬉しかった。米沢平野(置賜盆地)は、実り豊に微笑みする大地であり、アジアのアルカディアである」。彼女は、宇津峠を越えたことにより、心の「転折」を得たのです。
A子さんはいま限りなく広がる未来を見通せる「峠」に立っています。これからの歩みの中でもさまざまな峠が横たわっているのではないでしょうか。時には大きな峠が立ちはだかってくるかもしれませんが、何も恐れることなく自信と誇りと勇気をもって一つ一つの峠を越え、時には峠に立って新しい風に当たり心の転折を図りながら、さらに大きく飛翔することを期待しています。
九百年前の歌人源俊頼は、宮城のシンボルである宮城野の美しさを通してみちのくの奥ゆかしさを絶唱し、
さまざまに心ぞとまる宮城野の
花のいろいろ虫のこゑごゑ
という和歌を『千載和歌集』に残しています。何と美しく何と心豊かになる和歌でしょうか。
A子さんのこれからの一日一日そして人生が、この歌に詠われたように美しく心豊かで充実したものになるようお祈りし、私からのメッセージとします。
平成十九年七月三十一日
宮城県図書館長 伊 達 宗 弘
A 子 さ ま
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