だんだんといのち淋しき裸かな 青児
最近私の親しくしていた人たちの訃報を耳にすることが多くなった。亡くなった人たちの思いが脳裏に去来することもあるがそんな感傷にひたっている暇はない。再び日常の繁務に忙殺されてしまう。しかし時の流れは非情である。
主宰は支部の俳句会への参加や俳句誌の発刊、書評など多忙な時を過ごされている。そんななかでバラ園でのお手入れは数少ない心安らぐお時間ではなかろうか。バラの命を慈しみ、生きることの大切さ尊さ神秘さそしてはかなさを身を以てお感じになられながら静かな時を刻まれておられるのではなかろうか。
そんな主宰にも人には語れぬ思いもあろう。瞬時の安らぎの時ふと脳裏に去来するものは何か。確実に訪れる老いか。主宰者としての責務か。会の将来への道しるべか。心配事はたえない。
トップに立つということは孤独なものである。確固たる信念をもって進まなければならない。人は生まれるときも死ぬときも一人である。気持ちを取り直し毅然として生と死に対峙しなければならない。激しく移り変わる激動の時代を乗り越えた人のみがもつ研ぎ澄まされた感性に裏打ちされた秀句である。
(以前、みちのく俳句会主催原田青児先生から主宰の句に対する評を求められた時のもので、俳句誌に掲載されたものである。主宰の句を鑑賞し句評を寄せるのは憚られたが、先生には恩義があり失礼だとは思ったが先生の求めに応じた。)
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