家の古文書の整理をしていたら、大切にくるまれている色紙が出てきた。私が尊敬している天保の頃の、登米伊達家11代館主伊達宗充の和歌であった。幼くして死別した兄の50回忌にあたり詠んだものである。
閃光院殿(せんこういんでん)乃50年
の忌に当り給へ世にいまそかりける御俤
(おんおもかげ)したへ奉りて
遙かなる昔となりぬいとけなき春の別れは夢にまぎれて
解 釈
兄上の50回忌に当たりご存命中の面影を
瞼に描きこの和歌を捧げます
お兄上様と悲しいお別れしたのはもう昔のこととなってしまいました。幼かった頃の春の別れはなんとも悲しく、月日は夢のように過ぎ去ってしまいました。いまはただただお懐かしく当時を思い出しております。
宗弘解説
閃光院(1782〜1793)は宗充(1787〜1843)より5歳年上の兄である。宗充が6歳の時閃光院は亡くなった。行年12歳の2月であった。これからという時の早世である。宗充は健康に恵まれ登米伊達家11代を継承し、名君の誉れ高い人で嫡子斉邦は仙台12代藩主になり、宗充は仙台藩の後見人として重きをなした。
宗充は1843年57歳で死去するが、その前年兄の50回忌の法要を行った。50回忌は大きな区切りともなる法要で、考え方によってはそれが営まれるということは大変なことである。なぜなら50年もたてば当時を知る人は少なく、営まれることは例外であろう。
早世した兄に対する限りない思いもあったろう。万感の思いを込めて和歌を詠んだものと思われる。
(註)いまそかり(いまそがり)=いらっしゃる。おいでになる。いとけなき= 幼い。俤=おもかげ。
。 |