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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「感謝する気持ち」
2007年9月11日


 

 最近は雨が多い。山形大学に行っている息子が夏休みで帰宅している。この休み中免許を取るのだといって、自動車学校へ通っている。まもなく取得するようになるかも知れない。
 私は自動車学校へ行かず免許を取得した。車も少なく舗装も殆どない時代で、地方には自動車学校などなかった。自動車講習所がありここで練習をしたり、校庭で家族から運転の技術を学び、仙台から1ヶ月に1度来る出張試験を受けて、合格した人が免許をもらう仕組みで、取得は結構困難だった。
 私は14歳の時50CCの原動機付きの許可証をとった。誰も許可証などもっていない時代であった。学校が引けると乗り回したものだ。医者をしていた義兄が近くの公立病院勤務となり、土曜や日曜には家に泊まりに来た。フォルクスワーゲンをもっていた。毎週運転を教えられた。
  公道を乗り回しながら技術を取得した。登米から中田、佐沼を経由して家に戻った。大学にはいる頃には自動車は自由に運転できた。出張試験を受けて1発で合格した。まだ免許を持つ人の少なかった時代である。免許を持っていることはそれだけで尊敬された時代である。しかし10年近くはペーパードライバーであった。
 いまは登米から県の図書館まで片道80キロを車で往復している。5年前に購入した車はもう21万キロを超えている。何の故障もなく走り続けている。今日もこの大雨をついて私を80キロの彼方の図書館に運んでくれるのだろう。車はどんな気持ちで走り続けているのだろうか。仲間の車を見れば話しかけたくなることもあろう。綺麗な異性の車に出会うとエンジンもときめくこともあろう。暑い日はシャワーを浴びたいこともあろう。そんなことは何も語らずただ走り続ける車。
   今度の連休は感謝の気持ちを込めてシャワーで車体を洗ってやり、「御苦労さん、有難う」の一言もかけてやろう。そうだ私のお酒も飲ませてやろう。最近は日常世話になっているいろいろなものに感謝するようになった。私もそんな気持ちをもつ年になったのだろうか。

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