トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
湯山昭先生のお誕生を祝う会
2002年5月18日


 湯山昭先生、お忙しいなかようこそ仙台にお越しをいただきました。心から歓迎を申し上げます。
 本日のお誕生日を、日頃から先生を私淑しております一同、天河の杜仙台に先生を御招きしで開催をさせていただきましたこと、私共の誇りであり、大きな慶びとするところであり、心からお祝いを申し上げるものであります。
 先生におかれましては、作曲を初めとする多彩な活動を通して、芸術文化の振興に多大のご貢献をされ、また、多くの人々の心に馥郁たる豊かさ、喜びをお与えいただいております。
 一昨年7月には仙台で行われました、「アジア少年少女愛と夢のコンサート」の折には、テーマソングであります星乃ミミナさん作詩の“ひとつの地球を夢に見て”にご作曲賜り、このコンサート盛会裏に終了しておりますが、さらに先生のお力添えにより、この歌が教科書に採用され全国の小学生に歌われることになりましたこと、私共の大きな慶びとするところであり、出席者一同を代表して改めて感謝申し上げるものであります。
 本県におきましては、土井晩翠以来の快挙でもあり、この歌が多くの子供達に歌われ、明日を担う子供達の豊かな心を耕してもらえる一助になればと、期待をしているところでもあります。 

 さて私共日本人は、古くから木や草を素材とした家に住み、紙一枚の障子で外と接する生活をして来ました。半永久的なレンガや石を素材とする西欧の住宅と異なり、木は燃えやすく朽ち果てやすい素材です。紙一枚の障子だけで仕切られた生活は、自然の移ろいや鳥の声、虫の声にも常に親しみをもち、その一つ一つの仕草にも心躍らせる豊かな感性を培ってきました。繊細な優しい気持ちで自然のあるがままと接してきました。生きとし生けるものの美しさ、はかなさ、生きることの貴さをしっかりと心に刻み込んできました。日本人は花や鳥や虫の姿や声に豊かな季節の移ろいを感じ、またそれに心を託した細やかな心を養った民族です。
 しかし特に戦後、日本人の心からともすればこのような大切な心が失われつつあり世界各地では争いが絶えず、多くの不幸な事件ももたらされてきております。こういう中で音楽は、国境を越え民族の垣根を越え人と人を結び付ける、人類共有の文化であります。
 先生におかれましては、今後ともご健勝で世界の平和、芸術文化の振興に更なるご活躍を下されますことを、心からお祈りを申し上げます。

 本日、楽しい一時をお過ごしいただきますこの仙台は、古くは宮城野といわれ平安王朝の時代には、都の人々のあこがれの土地でもあり、優れた数多くの和歌が残されています。
 源氏物語桐壺には、

  宮城野の露吹きむすぶ風の音に小萩がもとを思ひこそやれ

という和歌が残され、古今和歌集にはその本歌となった、

  宮城野のもとあらの小萩つゆをおもみ
                 風をまつごと君をこそまてを

はじめ、

     御さぶらい御笠もうせ宮城野の木の下露は雨にまされり

という和歌も残されています。また、後拾遺集には、

  宮城野に妻呼ぶ鹿ぞさけぶなる もとあらの萩に露や寒けき

千載和歌集には、

  小萩原まだ花さかぬ宮城野の鹿やこよひの月になくらむ
  宮城野の小萩が原をゆく程は鹿の音をさえわけて聞く哉
    宮城野の萩やおじかのつまならん花さきしより声の色なる

などが残されています。
 九百年前の歌人源俊頼は、このように多くの人々を引き付けてやまない、宮城のシンボルであります宮城の原の美しさと通してみちのくの奥ゆかしさを絶唱し、

  さまざまに心ぞとむる宮城野の花のいろいろ虫のこゑごゑ

という和歌を千載和歌集に残しています。何と美しく何と心豊かになる和歌でしょうか。
 先生のこれからの一日一日、この和歌に謳われたように美しくも心豊かな充実したものでありますこと、そして今宵の楽しい一時をこの宮城野にお刻みいただけますこと、期待申し上げ歓迎の、そしてお祝いの言葉と致します。


                            1999年9月9日       勝山館にて