トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「時の流れに身をまかせ」
2008年12月6日


 

 私は朝4時に起床する。それからの2時間は私にとっては貴重な時間だ。依頼されている月刊誌の原稿、年間50回ぐらいの講演資料の作成を集中的に行う。
 朝4時の起床は小学4年の頃に始まる。父が病弱だった私のため七面鳥のヒナをもらってくれた。当時は鳥の餌は手作りだ。朝早く餌にするハコベなどを取り、糠に混ぜて与えた。七面鳥が抱卵した。家にあった鶏の卵も10個ぐらいそっと紛れさせた。3週間後、七面鳥と鶏のヒナが誕生し近所で一番の金持ち少年になった。当時は卵は貴重品。5年生の時雌のヤギの子をもらった。メイコと名付けた。子を持ち乳が搾れるようになった。ミルクも貴重品の時代、みなに喜ばれた。父から養蜂の伝授を受けたので、中学生の頃は蜂蜜も搾っていた。父から花壇と球根や草花の種を与えられた。中学を卒業する頃は総合商社の社長兼従業員になっていた。
 高校に入るとき私の進路をめぐって父と対立した。私は父に「田んぼを買ってもらい農業をしたい」と話した。父からは「せめて高校にだけは入ってくれ」と言われた。父の苦労を承知していた私は、養蜂を除いて大規模農家の夢を断念した。もしあのまま事業を拡大していったなら、世界を代表する富農になっていたと思うのは錯覚だろうか。夢は断念したが優れた技術は残った。いまは登米で零細ながらもトップ技術で日常家庭で使う野菜を栽培している。
 子供が生まれてからは山の一軒家の有利性を生かし、ウコッケイなどを放し飼いにして楽しんでいたが、近所の犬が乱入、三十匹近い鳥たちを殺されてしまった。いまは鳥は飼育していないが、池を拡大しテッギョやタナゴなどを飼い、周囲は山野草を中心にした山づくりに専念、仙人のような生活をしている。夜は1時間近く散歩する。田のあぜ道、急峻な山道を辿り帰宅する。
 県庁に入った頃から夢中でブナ、桂、ケヤキ、シャクナゲ、山野草を植栽した。20年前から4月29日の「登米茶会」の協賛事業として庭を開放している。この20年の間に咲く花の種類も変化した。最近は庭にカモシカやタヌキ、キツネも現れるようになった。自然が回復したのか自然の荒廃が進んだ結果なのか複雑な思いが胸に去来する。
 木々の成長と自分の老いを重ね合わせ、歳月の移ろいの残酷さを実感する昨今である。
 これは宮城県職員退職者で組織している勾当台クラブの会報に掲載したものである。)

   。