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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
私の養蜂日記ーパート15
2014年1月27日


 


  『朴澤三代治伝』執筆開始

 裁縫教育を通して近代日本女性の地位向上に大きな役割を果たした仙台大学・明成高校を運営する朴澤学園の創始者の治績を後世に正しく伝えるため『 朴澤三代治伝』の執筆に取り掛かった。どのようなかたちで書こうかと1年間悩み続けたが、やっと書く方向が決まり執筆に取り掛かったのだ。だからといって1年間考え続けていただけではない。沢山の資料を収集、三代治先生の墓所のある仙台市若林区の満福寺の墓碑を読み、泉区にある三代治先生の生家の墓所を訪れ墓にたたずみ、刻まれた文字を何とか読もうとも試みた。字が見えないので目を悪くしたのではないかと、空を眺めたら星空であった。もう夜になっていたのだ。夢中になると、自分から渦中に飛び込んでしまうので、家族は心配するがこれが私の生き甲斐であり、私一人で静かに考える貴重な時間なのだ。  この伝記はノンフィクション風に仕上げ、分かりやすく書き上げようと密かに考えている。昨夜からとりかかり400字詰原稿用紙に直すと36枚仕上げた。生い立ち、朴澤家700年の歴史、家庭環境、当時の城下町や仙台の人々の暮らしぶり、大きな影響を受けた藩校養賢堂。裁縫に取り組むきっかけとなった義姉との出会いと新鮮な衝撃。幼くして亡くなった甥や姪への追慕、それを振り切るように夢中で針を動かしながら死んだ娘の七五三の晴れ姿の衣裳を作り、墓に手向けた、一途に真摯に生きる義姉の後ろ姿。  父の死後、父に代わりに自分を励まし慈しんでくれた兄多記の優しさと先を見通す洞察力。そんな環境の中で繰り広げられる、ケとハレの組み合わせで営まれる仙台城下の四季彩彩。  幕末から明治維新にかけてめまぐるしく変わる時代の中で、たくましく生きた朴澤学園の創始者、『朴澤三代治伝』の概略だ。とかく固くなりがちな学校の歴史を分かりやすく、何度も読みたくなるような本にしたいと考えている。  明日、明後日は仙台大学で私の担当している「歴史と人間《のテストだ。来週早早、成績表を提出したあと、本格的に執筆に取り組もうと考えている。そのためには充電時間が必要だ。  今朝NHK文化センターに仙台教室に電話をし、4月3日(木)2時間「宮城の歴史と文化の源流』をやったあと、秋まで休ませてもらうことにした。どうしても忙しすぎると何かの手を抜いてしまうのだ。私のような家業をしているとそれは致命的だ。その点では水商売に共通するところがある。心してかからなければならない。昨日、今日と少しの時間ではあるが春の陽気を思わせる一時があり、ミツバチは外に出て飛び回っていた。箱の中では既に産卵が始まっているのだろうか。ハチミツと同じように大切な花粉の代用品であるきな粉を箱の近くに置いておいたら、結構運んでいた。花粉はミツバチにとっては、骨を形成する為に必要な必需品なのだ。  夕方愛犬コロを連れて山道を片足に1.5キロの重さをつけて山道を散歩した。良い運動なのだ。4月以降多忙になるであろう養蜂事業を無事に乗り越えていくには体力が必要なのだ。