トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
2018年3月11日


 


 
  東日本大震災から7年が経過した。復興はなかなか進まないようだ。震災の年の4月はは息子が社会人としての第一歩を踏み出す年、そして娘が大学へ進学する年であった。 息子の初勤務地は石巻、娘は千葉大学であった。それぞれの新しい門出を目前にしたときの大震災である。  震災の日は息子は仙台へ、娘は友人とショッピングに出かけていた。私はハシゴに登って庭の大木の選定作業をしていた。突然の揺れ、私はしばし作業を続けていたが、今まで経験をしたことのない揺れなので静かにハシゴから降りた。町の方からは皆の騒ぐ声が聞こえてきた。私の家は要害のあった場所なので花瓶一つ落ちなかったが、町は地盤が悪かったのでものすごい揺れだったのは騒ぐ声から察せられた。  息子はどうなったか、娘はどうなったか。必死に携帯電話で連絡をとろうとしたがとれなかった。かなり早い段階娘が友だちの家におり、親御さんが車で送ってくれるという連絡があった。息子との連絡は取れなかった。深夜札幌の山形大学時代の友人から息子が叔母さんの家にいるから安心するようにと連絡があったとの旨の連絡があった。直接連絡が取れなかったが札幌経由で無事が確認できた。その夜は娘と息子を除く三人で夕食を取った。ラジオから伝えられるニュースから今まで考えられなかった大災害であることが察せられた。更に福島の原発のニュースが飛び込み暗然とした気持ちになった。これからどうなるのだろう。