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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
令和3年度仙台大学前期講座スタート
2021年4月1日


 

 令和3年度の講座がスタートした。4月1日は辞令交付などがあった後、午後から全体会議が開かれた。理事長挨拶、学長訓示、新任職員紹介などオンラインを使っての会議である。
 コロナの猛威の中、日常がすっかり様変わりをした。予想しない厳しい時代を迎えたものである。こんな大切な時期に、国の指導者たちの顔には差し迫った真剣さが感じれない。ただそのもとで多くの公務員が無造作に切り捨てられている。とくにこの10年は、もっともひどい10年だと感じる。東日本大震災・原発事故への対応のなさ、各種問題への忖度政治。国を預かる政治家の保身、その中で行われた文書改ざん事件、多くの有能な公務員が犠牲になり、忖度が横行した。日本の国を滅ぼすのは外国の国ではなく、いまの見識のない政治家と思えてならない。
私も長い間宮城県職員として仕事をしてきたが、公務員が公文書を無造作に廃棄するなどあり得ない。文書規定があり、保存年限も定められている。政治家の強い命令を受けて部下職員が改ざん作業に携わったのだろうが、廃棄するなどの発想がそもそもないのである。文書は公務員にとっての命である。
 昔はそれぞれの省庁では事務次官が指揮をとり、人事などへの政治介入を拒んできた。もちろん高度な政治判断によって、異なった方向に進めざるを得ないこともあったろうが、それでも経緯を記した文書もきちんと残したものである。一定の期間が過ぎればかなり軽微なもの以外は公文書館に引き継がれる。それは一定の期間を経て公開するようになっている。だからこんなにも多く文書が廃棄されるということはない。戦後を見ていても政党が変わっても政権が変わっても一貫して日本の政治が機能してきたのは各省庁が事務次官の元でしっかりと守られてきたからである。政治家の都合で無造作に職員が上利益を被ることはなかったと思う。
 いまの政治家は、政治主導と言うがもちろんそうあるべきだが、きちんとした政治家としての学びをせずに、政治家になる人や2世、3世議員が多く、国民の痛さを知らない人が大半である。政治家ではなく政治屋である。人事権を内閣に一元化したことによって、正論を述べる人たちがどんどん更迭され、政権にすり寄る本来は亜流の人たちが跋扈するようになったと私は思っている。記者会見に出ている閣僚の顔を見ていても謙虚さ、真剣さ、風格が感じられずむしろ傲慢ささえ感じる。  私が宮城県に奉職したころは、市町村長でも農協組合長でもみな風格と見識があったように思う。いまはそんな人々は皆無ではないだろうか。
 いまの若い人たちは可愛そうだ。夢や希望に満ちた多感な青春時代を送ってこそ、充実した人生が送れると思うが、それが著しく狭められていると感じられる。
仙台大学の学生を見ていると、若者としての覇気を感じる学生が多い。校是がしっかりしているからだろう。歴史と伝統文化のなせる技かも知れない。私は歴史を担当しているが、狭い意味での歴史ではなく、他国にはない日本の素晴らしい歴史や文化をしっかりと伝え、自信と誇りを持って生きることができ、また堂々と世界に伊していけるような人材に育って欲しいと思いながら、教材を作成している。
          令和3年4月1日