石巻市立湊小学校の坂本忠厚先生が、3月31日でご退職された。いろいろな場面で教育者としての先生の後ろ姿を見て、これが本当の教育だと感動することが度々あった。
柴田町立柴田小学校の校長をされていたとき、以前からお付き合いのあった坂本先生から、小学校6年生が会津若松に修学旅行に行く事前研修として、なぜ白虎隊が最後まで戦い続けたかなどを話して欲しいとの依頼を受けた。送り迎えは校長先生がしてくださった。学校に伺ったが生徒達は皆元気よく活き活きとしていた。
生徒と同じ給食をご馳走になり学校給食の現状を知ることができた。少し時間があったので一人で学校を見て回ったが、生徒達からはみな元気に声をかけられ挨拶された。校長室は開放されており4年生はみな校長室で百人一首に興じていた。4年生は百人一首をマスターすることを目標としていたのだ。生徒達はみなきちんと教育されているな―と感じた。このような学校ではいじめなどは無縁だろう。生徒達は男女や学年の差をこえてみな仲良く遊んでいた。
会津の修学旅行の後、生徒達から感謝の感想文を頂いた。また一流の学者に依頼し、遺跡の発掘など子供達がみな楽しく学校生活が送れるように工夫をされながら学校運営にあたられていた。また地元の茶道の先生から茶道なども学ばせていた。みな先生の生き方に感じボランティアとして協力しているのだ。何という凄い先生がいるものだと心から感銘を受けた。
並大抵ではない先生の真摯な教育に対する姿勢はより多くの皆さんにも知って欲しいと感じた。柴田小学校での事前研修は2~3回伺ったと記憶している。私は事前研修の時、生徒にとって幅広い知識が身につくように工夫し臨んだ。地元の人に坂本先生の話を聞くとみな凄い先生だと語っていたので、先生の真価は広く知られていたと感じた。
その後、先生は石巻市立湊小学校へ移られた。引き続いて小学校6年生の会津への修学旅行の事前研修の講師を2度依頼された。柴田小学校と同じように生徒達は良く教育されていた。みな人怖じせず積極的に私に声をかけてくれたし、話を聞く態度も真摯であった。職員・父兄が心から信頼しているのを感じたものである。授業では白虎隊の話のほかに葉書の元となったタラヨウの葉を持参し、実際字を書いてもらったり、木の裁断したものを持参し、樹齢についての話や、樹高、樹齢、陰樹、陽樹などについても話をした。竹は木ではなく草であること、木の太さはタケノコの太さで決まり竹になってからは太さは変わらないなどを楽しく教えた。かなり以前、登米小学校で草笛講師をしていたことがあるが、小学生にきちんと話をする機会は少なかったので、柴田小学校、湊小学校や万石浦小学校の思い出は私には貴重な体験であり『新鮮な衝撃』であった。
退職された後、ご出身地の女川町の教育委員会で学校教育指導員として学校運営に携わられるとお伺いした。女川町も東日本大震災で大きな災害に遭い復興途上にある。先生のこれまでの素晴らしい教員生活での実践を生かし、さらなるご活躍されますこと、そして私にご協力できることがあれば何時でもボランティアで伺いしますことお誓いし、感謝の気持ちといたしたい。
令和3年4月4日
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