ご案内状を頂き、2月26日から3月3日まで仙台三越で開催された日本画家能島和明先生の展示会を鑑賞させていただいた。久方ぶりに奥様の伴子様にもお会いした。
俗世を超越されている芸術の世界に生きる先生と芸術の世界と俗世を結ぶためご尽力をされている奥様のお姿をほほ笑ましくしばし見とれた。先生は俗世とは無縁の芸術一筋に歩んでおられるのだ。楚々として知的で美しい奥様はそんな先生を支えておられるのだと勝手に想像した。想像することは勝手だ。私もある意味では芸術家だ。
山の一軒家で畑を耕し多数の樹木を椊え、自分の目指す美しく心豊かに新しいエネルギーをもらえるような山を大自然の中に造形しているのだ。自然を相手にした芸術家だ。そう思うのは勝手だ。
さて、本題に戻そう。50点近い作品をじっくり鑑賞させていただいた。静と動、躍動感溢れるそれぞれの作品には先生の芸術の世界を垣間見ることができた。作品の中には静寂なものがあったり、躍動感の溢れるものがあったり、ほほ笑ましいものがあったりと。しばらくの間、先生の繊細で豊かな世界を旅させていただいた。
1000年以上前、菅原道真の建言によって国風文化が花開き生成発展を続けながら今日に至っている。かな文字の発明、大和絵、寝殿造りなどである、日本画は大和絵を源流としながら今日にいたっている。その後、室町時代3代将軍足利義満は金閣寺を造営し観阿弥・世阿弥親子を支援し田楽・猿楽といわれた単なる芸を能という最高の芸術を創りあげる素地を形成した。8代将軍足利義政は東山に銀閣寺を造営し東山を中心として茶道・華道・わび・さび等の文化が芽生えた。これらが融合し260年の江戸時代に最高に洗練されたものに育っていったのだ。その様な面では日本は世界に冠たる芸術・文化大国なのだ。
そんなことを考えながら先生の作品の一つ一つに見入っていた。無我の境地で描かれているのだろう。この10分の1でも私に才能があればなーと思っていた。沢山の入場者がいたがほとんどが先生の作品を見るために訪れているのがすぐ分かった。先生も奥様も丁寧に対応されていた。しばし見た後会場を後にしたが、なんとなく残念だったので息子にも最高の芸術に触れさせたく、後日、3人で伺い鑑賞させていただいたた。この時は先生ご夫妻は上在であったが、存分に心を豊かにさせていただいた。
コロナ禍のなかしばし現実を離れて素晴らしい旅をさせていただいた。先生のさらなるご活躍とご夫妻のご健勝をお祈りしたい。
令和3年4月4日
|