仙台大学をこの3月退職し、仙台藩志会の仕事と養蜂事業に本格的に取り組みたいと思う。平成21年(2009)3月宮城県 図書館長の職を辞した後、4月から仙台大学客員教授として「歴史学《を担当し13を経過した。朴澤泰治理事長の理解もあり自分でも良い仕事をさせて頂いたと感謝している、同年10月には朴沢学園創立130年記念行事が行われる予定となっていた。
資料を整理されたいという理事長の強い思いもあり、思い切っていろいろな仕事をさせて頂いた。国立公文書館、国立国会図書館、宮城県公文書館、宮城県図書館、仙台市の旧戸籍の閲覧、先達の資料などから10月まで「朴沢学園公文書資料集 全13巻《「朴沢学園130年の歩み《を仕上げた。
さて朴沢学園には戦前焼け残った教材の裁縫掛図が秘蔵されていた。朴沢学園の田中慶子さんから、このままでは分からなくなるので何とかしたいと相談を受けた。また、理事長は130年記念に併せて広く当時の生徒の残した作品等の寄贈を呼びかけかなりの数の生徒の当時の作品等が集まった。
私は平成22年6月理事長に対し、「朴沢学園所蔵資料の文化財指定スケジュール《を提出し、理事長の快諾を得た。そこで私と朴沢学園の齋籐敬さん、田中慶子さんとプロジェクトチームを結成し文化財指定に向けた、活動を活発化させた。文化財指定には相対評価が欠かせない。東京家政大学博物館、玉川大学教育博物館、和洋女子大学を訪問、東京大学図書館資料の提供、さらに元茨城大学元教授椊村千枝氏や仙台大学元教授千葉昌広氏の仙台大学紀要第8集(1976年10月)等を参考に文化財指定に向けた第1歩を踏み出した。
また、戦前朴沢学園高等師範科で学び昭和14年卒業の元教諭(旧姓・増澤京子氏)、15年卒業の元教諭(旧姓・吉田くに子氏)、元朴沢学園教師近江孝子先生などにインタビューし、文化財指定に向けた貴重な心強いお話しを聞くことが出来た。通勤や家にいるときも何時も文化財指定に向けたシナリオをどのように薦めるかに腐心した。齋籐敬さん、田中慶子さんもみな同じ思いだったと思う。
その努力が実り平成23年⒎月1日仙台市教育委員会から「仙台大学裁縫教育資料557点が仙台市指定有形文化財に指定された。この時指定されたのは戦前から朴沢学園で使用されていた教える側の教材が中心であった。
残るのは理事長の呼びかけに応じて寄贈された4000点の当時の生徒達の遺族から寄贈された教えられた側の作品だ。苦労に苦労を重ね3980点の指定を受けた。先に指定を受けたものを含めると4537点の指定にこぎ着けた。
この過程で、朴沢学園裁縫教育資料集など4冊の資料集と仙台市文化財調査報告書(仙台市)を取りまとめることが出来た。朴澤泰治理事長、齋籐敬さん、田中慶子さん、仙台市教育委員会をはじめ多くの皆さまに感謝を申し上げ仙台大学に感謝し、第三の人生の道を力強く生きていきたいと思う。た。
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