思いもしなかったが、3月31日朴沢学園に招かれ理事長から次のような感謝状をいただいた。
「 感 謝 状
貴殿は、本学園仙台大学客員教授及び地域連携コンサルタントとして仙台大学の教養教育活動に尽力され多数の学生の共感を得るところとなりました。また、「朴澤学園公文書資料集 全十三巻《の作成、学園裁縫教育資料等の整理・保存に尽くされ、これらの資料は仙台市指定有形文化財に指定され、本学園教育の伝承について多大の貢献をされました。
ここに本学園職員を退任するにあたり、深甚なる感謝の意を表し感謝状を贈呈致します。
令和四年 三月三十一日 学校法人 朴沢学園 理事長 朴澤泰治 《
大変恐縮する感謝状をいただいた。その後、昼食会が行われ理事長の挨拶があった。会場には在任中にまとめた、「公文書資料集 十三巻《「朴沢学園130年の歩み《「朴沢学園の創始者 朴澤三代治伝― 近代日本女性の地位向上に大きく貢献―《や「朴沢学園裁縫教育資料集《「仙台市指定有形文化財《のい指定書などが展示された。
挨拶を求められ、感謝の言葉を述べた。「13年仙台大学と朴沢学園で楽しく仕事をさせていただいた。理事長のご理解とご支援、そして文化財指定には元学園職員の齋籐敬さん、そして田中慶子さんの協力があって仙台市の文化財指定にこぎ着けた。2人には感謝している。文化財指定に向けた動機は、田中さんが学校を案内してくれたとき掛け図を説明してくれその時彼女の言った「何とかしてきちんと後世に伝えたい《との必死の思いの言葉であった。それが原動力になり3人でプロジェクトチームを結成、力を合わせて頑張った成果がかたちになったもので、理事長のご理解と惜しみない支援、そして文化財指定にむけて力を合わせて頑張った齋籐敬さんと田中慶子さんには感謝していると述べた。
楽しい昼食会の後、新装した仙台大学附属明成高等学校を後にした。
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