トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
295回 飯澤愛子先生へのお別れのことば /TD>
2023年1月23日


 

 愛子先生、1月17日詩人の星乃ミミナ様から悲しいお知らせをいただきました。その時すぐ脳裏に浮かんだのは仙台藩祖政宗が遠い京都で、母の訃報に接したとき悲しみを胸に秘め詠んだ歌でした
。  鳴く虫の声を争う悲しみも涙の露ぞ袖に暇なし 政宗
 愛子先生との出会いは、1997年7月仙台で開催された「アジア少年少女愛と夢のコンサート《の時です。主催者である星乃ミミナ様からご紹介いただいたのがご縁でした。振り返ってみれば、もう25年の歳月が経過をしているのですね。
 愛子先生とお話をすると何か亡くなった私の母と話をしているような錯覚に陥ることがありました。穏やかで細やかな感性と泰然自若として凜としたお姿は私共に日本人の心のありようを教示して下さいました。愛子先生がおられるだけでその場は和みました。暖かい愛子先生のお心遣いを感じながら私共は、お付き合いをさせていただいてまいりました。
 季館に伺うと二郎先生とお二人で仲睦まじくお仕事をされておられました。二郎先生は平成29年4月お亡くなりになりましたが、その後愛子先生はどのようなお気持ちでお過ごしになられたのでしょうか。
 さびしさに堪へたる人のまたもあれな庵ならべむ冬の山里
 800年前の漂泊の歌人西行法師の歌です。
 山形ご出身の愛子先生と二郎先生は幼い時から喜びも悲しみもともに分かち合いながら歩まれたお二人です。大正14年山形を訪れた昭和天皇は、雄大な最上川がゆったりと流れ川の水が澄みきっていることに感銘を受け、
 広き野を流れゆけども最上川海に入るまで濁らざりけり
という歌を詠まれています。愛子先生もまさに二郎先生とふるさとの大河最上川のようなご生涯を送られたのではないでしょうか。愛子先生は最後の最後まで進取の気質を失わず、聡明で好奇心旺盛な先生でした。
 昨年11月27日まで先生からSMSをいただき11月29日私からのSMSが最後になってしまいました。感無量なものを感じます。
 また愛子先生にお手紙を差し上げ私の吊前の下にサインをして差し上げたときいただいたメールです。
 花押あり豊かな手紙届きたりコロナの世界清風吹きて
私の家で収穫した蜂蜜をお送りしたときの歌です。
 賜りし蜂蜜天にかざしみるひかりゆらゆら雅楽聞こえし
娘婿が経営している「木漏れ日農園《の収穫物を送ったときいただいた歌です。
 木漏れ日のファーム育ちし香りと色は秋の朝餉をほのぼの深む
コロナのワクチン注射でお体の調子を悪くされたのでしょうか。木漏れ日農園の野菜を召し上がってお元気になられた様子を詠まれた歌です。コロナ予注というのはコロナの予防注射のことです。
 心ある恵みの野菜愛溢れコロナ予注倦怠癒す
 渡り鳥もまもなく北に帰り暖かい春を迎えます。雪解け水が大地を潤し、生きとし生けるものに新しい命の息吹を与え、森羅万象躍動する季節も間近です。
 大空は梅の匂いに霞み曇りもはてぬ春の夜の月 藤原定家
 ご遺族の皆様に先生の温かいご加護を賜り、幸多いこと祈念申し上げます。
 愛子先生、ご苦労様でした。そして有り難うございました。先生がこよなく愛した大自然の懐に抱かれ二郎先生と再会され積もる思いを語り合われることお祈り申し上げ、万感の思いを込めて永遠のお別れの言葉と致します。
令和5年1月21日   伊 達 宗 弘