小高い丘陵を幅一間程の街道を進むと、中世からの舟運の拠点鳴瀬川に面した三本木町です。ここからさらに古川、荒谷、高清水、築館、宮野、沢辺、金成と進んで行きます。
古川は、八百屋市のような伝統市や三日町、七日町、十日町の町名に見られるような市場町としての役割を果たしてきました。古川は歌枕緒絶の橋の所在地であり、また大正デモクラシーに大きな影響を与えた吉野作造の生誕地で、『吉野作造記念館』があります。
高清水は、日本名水百選の桂葉清水で有名です。
築館町は双林寺で知られています。双林寺は、市街地の南西端にある曹洞宗の寺で本尊は薬師如来座像で、境内には樹齢千三百年ともいわれる巨木姥杉があり、杉薬師の名で親しまれ、縁日には藩政時代から続いている互市が開かれています。
築館、若柳、迫三町にまたがる、伊豆沼・内沼はラムサール条約で指定をされている野鳥の楽園です。
沢辺は天然記念物ゲンジホタルの里として知られ、その季節ともなると幻想的な世界に私たちを誘ってくれます。金成町の有壁宿は国の史跡に指定されている有壁本陣跡があり往時を偲ぶことができます。金成町は奥州藤原氏の黄金伝説に因む地名で重要無形文化財小迫の延年の舞が著名です。歌枕「姉歯の松」の所在地として知られ、黄金沢などの地名も残るなど歴史を秘めた場所です。左方には秀峰栗駒山が望まれその麓には豊かな温泉が湧出し、四季折々の自然の豊かな移ろいを私たちに伝えてくれます。
丘陵を越えると一関、山ノ目、前沢、水沢、金ヶ崎と街道は北上川沿いに北上します。一関は藩政時代、伊達騒動の悪役にされた伊達兵部宗勝の城下町です。責任を問われた兵部は土佐に配流となり、遠い異郷の地で主家の安泰をひたすら祈りながら没し、その一族もそれぞれそ配流先で寂しく没しました。兵部のあとは、田村氏三万石の城下町として歴史を刻み、『蘭学階梯』で知られる大槻玄沢や建部清庵ら著名な蘭方医を輩出しました。
また、江戸後期から幕末にかけて農民中心の和算が広く高度に発達した地域で、中農出身の和算家千葉胤秀が周辺の農民に和算を教え、やがて士分に取り立てられて算術師範になります。和算の自習書『算法新書』を刊行して関流和算を全国に普及させました。
前方にひときわ高い山並みが見えます。束稲山です。その麓一帯は八百五十年前平泉藤原氏が皆金色の花開かせた平泉で、高館、中尊寺、毛越寺、無量光院等の史跡が諸行無常を今に伝えています。
前沢の北上川一帯の平坦地は縄文時代の遺跡も多く、前九年の役、後三年の役の古戦場です。
近くには磐井川の景勝地で知られる厳美渓(一関市)があります。河川が河床に露出する石英安山岩を浸食し、大小さまざまな穴(甌穴)や急流、深い淵、四十八滝などの渓谷美が約二キロにわたって見られます。両岸の深さは一〇〜二〇メートル程度ですが、甌穴の発達のよさは、荒川(埼玉県)の長瀞や木曽川(長野県)の寝覚の床に匹敵するといわれています。渓谷からは平泉の達谷窟までの五キロが東北自然遊歩道の一環として整備されています。
達谷窟は平泉町西部の北沢にある岩屋遺跡で、平安時代末期、この岩窟に砦を構えて蝦夷の阿弖流為らを平定した坂上田村麻呂が九間四方の堂を建て、一〇八体の毘沙門天を祀ったと伝えられています。毘沙門天は四天王の一つで須弥山の中腹北方に住し、夜叉・羅刹を率いて北方世界を守護し、また財宝を守るとされる甲冑を着け忿怒の表情で知られます。
一六三一年(明正八)仙台藩士後藤寿庵による寿庵堰の開削によって穀倉地帯の基礎が築かれ、大曲(岩手県前沢町)は仙台産米の集積・積み出し河港として賑わいました。