蛍飛びみつの小島の旅人は都を恋ふるたまやうくらむ 藤原家隆
蛍飛び交う季節を迎えました。夏は、人々の心が故郷へ向かう季節でもあります。純子さん、モダンバレエスタジオ30周年を迎えられおめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。また、電力ホールで行われた第20回発表会「モダンバレーと朗読のハーモニー」をご披露いただき、心豊かにさせていただきました。出演をされた方々、舞台裏でお手伝いをされていた皆様方、心から感謝申し上げます。
ご承知の通りいま私たちを取り巻く環境は、とかく殺伐として閉塞感が漂っています。このような中で一番なことは、科学や技術の力ではなく人類が営々と積み重ねてきた叡智ではないでしょうか。とりわけ芸術・文学は国と国との境や人と人との垣根を取り除き、人類が共有できる貴重な財産でもあります。本日の30周年を契機にさらなる飛翔をとげられますこと、心から祈念申し上げます。
さて純子さんは、本日30周年という大きな峠を越えられました。この間純子さんは、言葉に尽くせぬさまざまな悩みや困難もあったろうと拝察を致しております。それを一つ一つ克服しながら本日を迎えられたのではないかなと存じております。
私からは、「峠」をテーマにお祝いを申し上げます。
私たちの住むここみちのくの山々は、神宿る山であり雲の生まれるところであり、また水を涵養し、多くの幸を私たちにもたらし続けております。
山の彼方には、まだ見ぬ見知らぬ豊かな世界が広がり、古くから人々は山の彼方にあこがれてきました。いつの時代も、人々は山を越えようとしました。物資の輸送や信仰、さらに戦争のため山を切り拓き、道を造りあげてまいりました。こういう営々とした営みの中で「峠」が誕生したのです。峠という字は漢字ではなく、「山の国」日本人の感性がつくりあげた会意文字です。
峠に立つと、今までとは違った景色や風に出会うことがあります。峠を越えることは未知の国へ足を踏み入れることであり、無限の可能性に向けた第一歩でもあり、また「心の転折」を得ることでもありました。
英国の著名な女流冒険家イサベラ・バードは、1878年(明治11)7月宇津峠を越えて米沢に入りました。彼女は、『日本奥地紀行』というすぐれた紀行文を残しておりますが、その中で彼女はその時の感動を、次のように記しております。
「私は、日光を浴びている山頂から、米沢の気高い平野を見下ろすことができて、嬉しかった。米沢平野(置賜盆地)は、実り豊に微笑みする大地であり、アジアのアルカディアである」。彼女は、宇津峠を越えたことにより、心の「転折」を得たのであります。
本日、純子さんは30年という大きな峠を越えられ、そして限りなく広がる未来を見通せる場所に立っておられます。これからの歩みの中でもさまざまな峠が横たわっているのではないでしょうか。時には大きな峠が立ちはだかってくるかもしれませんが、純子さん、何も恐れることなく自信と誇りと、勇気をもって一つ一つの峠を越えられ、時には峠に立って新しい風に当たられ、心の転折を図られながら、さらに大きく飛翔されること祈念申し上げます。
また、会場にお集まりの皆様方も、今後ともなお一層、温かくそして力強く支援していただきますように、私からもお願いを申し上げるものであります。
900年前の歌人源俊頼は、宮城のシンボルでもある宮城野の美しさを通してみちのくの奥ゆかしさを絶唱し、
さまざまに心ぞとむる宮城野の花のいろいろ虫のこゑごゑ
という和歌を千載和歌集に残しております。何と美しく何と心豊かになる和歌でしょうか。 純子さん、そしてお集まりの皆様方の1日1日がこの和歌に詠われたように、美しく心豊かなものでありますこと祈念申し上げ、お祝いの言葉といたします。
平成15年7月13日 於勝山館 伊 達 宗 弘
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