安積山(郡山市日和田町)は、万葉の時代から歌枕の地として著名でした。安積山の所在については「曽良旅日記」で、日和田の小丘(25メートル)と記して以来、日和田の説が有力です。万葉集には、「安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心をわが思はなくに」と、深く相手を思っている自分の気持ちを伝えた和歌が残されています。
今もその影やあさかの山清水 白尼
安達ケ原は安達太良山の東部、二本松市の 阿武隈川右岸に沿う裾野に所在し、鬼婆伝説を伝える謡曲「黒塚」で知られます。伝説によれば、都のさる公家の乳母が、病身の姫のために妊婦の生き肝を飲ませるよう命じられ、旅人を襲いましたが、手にかけた女が別れたわが娘と知り鬼婆に変わったといわれます。
鬼婆の住処という岩屋が観世寺境内にあり、近くの黒塚は、鬼婆の墓といわれています。
青柳の門かいくぐり鬼女の寺 角川 源義
阿武隈川は、その源流を白河市西方の那須火山群の三本槍岳に発し、阿武隈山地を北流し、宮城県亘理町荒浜で仙台湾に注ぐ239キロにおよぶ大河です。古来多くの詩歌に詠まれてきました。阿武隈川のほとりに住んでいる若い娘が、当時の通い婚の風習で夜の明け方に女の家から帰る男に別れを惜しんだ、「阿武隈に霧立ちくもり明けぬとも君をばやらじ待てばすべなし」と王朝的に洗練された和歌が『古今和歌集』に残されています。
猪苗代湖は、琵琶湖、霞ケ浦、サロマ湖に次いで4位の面積を誇る湖で周囲49キロ、郡山盆地の開発で知られる安積疎水の水源で、ワカサギやジュンサイも採れ、秋の紅葉、白鳥の飛来地として知られています。野口英世(1876〜1928)は多感な少年時代をこの湖畔で過ごしました。英世は、伝染病研究所を経て渡米、ペンシルヴァニア大学助手、さらにロックフェラー医学研究所員、そして1911年(明治44)梅毒スピロヘーターの純粋培養に成功し、進行性麻痺および脊髄癆が梅毒性疾患であることを証明しました。アフリカ西部のアクラで黄熱病原研究の際に感染して病没しましたが、次代を担う多くの青少年の心を豊かに耕すのに大きな影響を与えました。
花野から花野へ猪苗代の水 河合 凱夫
しぐれ来る英世の母の仮名手紙 松村 蒼石
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