寒河江は、最上川の支流である寒河江川の沿岸に位置し、名称は荘園名に由来します。鎌倉期に寒河江荘の地頭となった大江広元の城下町として発展しましたが、1584年(天正12)最上義光に侵略され、のちに寒河江氏の手に渡りました。古刹慈恩寺は、聖武、鳥羽、後白河三帝の勅願寺といわれ、行基によって開基されたといわれる城跡のような大寺です。
大正はじめ烈々たる情熱と気迫で峻烈な俳論を展開した大須賀乙字に深い関わりのあるお寺です。寒河江は、細見綾子の「山形のさくらんぼ来しまたたきて」の句で知られるさくらんぼの産地です。
慈恩寺の仏寂しや曼珠沙華 永野 孫柳
上山は、羽州街道の宿場町として栄え、沢庵和尚の配流された地で、その庵は春雨庵として復元されています。楢下は宿場の面影をいまに伝え、サクランボ、ブドウの果樹栽培の盛んなところです。また金瓶は斎藤茂吉の生誕地で、茂吉の生家を訪ねた弟子の佐藤佐太郎は「金瓶の橋わたるとき花さける合歓(ねむ)の一木のこころがなしも」の一首をとどめています。
秋風に吹かれ吹かれて上山 林芙美子
蔵王は、奥羽山脈の主稜をなし、宮城、山形両県にまたがる南北30キロの火山群の総称で、最高峰は熊野岳の1841メートルです。蔵王の名は、中世山岳修験の信仰対象として吉野(奈良県)の金峰山から蔵王権現を勧請したことに由来し、古くは蔵王連峰全体を不忘山とよんだといわれ女人禁制の山でした。
宮城蔵王には昔から伊達家の利用した不忘閣のある青根温泉、その奧の峨々(がが)温泉や弥次郎系・遠刈田系こけし発祥の地である遠刈田温泉があり、冬季には霧氷・樹氷を愛でることができます。山形蔵王は、蔵王温泉を基地にして四季折々の変化美を楽しむことができます。
蔵王山をま向うに志て撞く鐘は
朝勤め夕は憩へと鳴りわたるかも 結城哀草果
山刀伐(なたぎり)の土竜の土がうごきけり 加藤 楸邨
山刀伐峠は、県北東部、尾花沢市と最上市の境にある峠で、地形が漁師のかぶるナタギリという頭巾に似ていることに由来します。一刎、赤倉温泉、堺田を経て、宮城県の中山平、鳴子方面へと通じています。芭蕉の『奥の細道』で取り上げられて有名で、歴史の道として整備されていますが、県道最上尾花沢線が改修され、山刀伐トンネルが通じて急速にその姿を変えつつあります。
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