「岩手の人、沈深牛の如し」と高村光太郎が詩でふれたように、重厚で粘り強く逆境に耐える県民性で知られる岩手県のシンボルは、十和田八幡平国立公園の秀峰岩手山です。標高2038メートルの秀麗・雄大な山容から南部富士ともいわれ山岳信仰の対象でもありました。「朝寒や日和さだまる奥の富士 重厚」(『俳諧名所小鏡』)や、石川啄木の「神無月岩手の山の初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ」(『一握の砂』)など古くから多くの人びとに親しまれてきました。
源俊頼の家集『散木奇歌集』に、「人目もるいはでの関はかたけれど恋しきことは止まらざりけり」と、「言はで」と掛けて恋心を打ち明けられない心情を表したものとして、平安・中世の和歌にも多く詠まれてきました。
思へどもいはでの山に年を経て
朽ちやはてなん谷の埋れ木 藤原顕輔
南部富士けふ厳かに頬被り 山口 青邨
八幡平は県北西部岩手・秋田両県にまたがる大高原で、標高1614メートル、アスピーテライン開通後、だれでも容易に登山できるようになりました。頂上からはダケカンバやアオモリトドマツの樹海に囲まれた神秘的な八幡沼が見えます。八幡平の名は征夷大将軍坂上田村麻呂が八幡宮を祀ったことにそのいわれがあると伝えられています。湿原にはミズバショウ、ニッコウキスゲなどの高山植物が繁茂し、藤七温泉をはじめとする鄙びた温泉の風情は、旅情を慰めてくれます。
ひえびえと山の霧ふる湿原に
日光黄管花むれて咲く 佐藤志満
霧ぶすま八幡平の緋からくり 吉田未灰
その岩手を南北に貫流しているのが、県北部七時雨(ななしぐれ)火山南東斜面を水源とし、奥羽山脈と北上山系の間を南流し、盛岡で雫石川・中津川を合わせて大河となり、宮城県に入って太平洋に注ぐ全国第四位の北上川です。大河に育まれたこの地域一帯は古代「日高見の国」と称されたといわれ、川名は日高見国の川に由来するといわれています。流域には盛岡、花巻、北上、江刺、水沢、一関そして宮城に入って登米、石巻などの市町があります。『奥の細道』の芭蕉は、その道を逆に南から石巻、登米、一関、平泉と辿りました。大河北上川は、多くの恵みをもたらし豊かな文学風土を育んできました。
風するどく北上川を越えて吹き
樺いろに照る水の上の山 扇畑忠雄
北上の空へ必死の冬の蝶 阿部みどり女
北上川の岸辺に立てば山焼くる 遠藤 梧逸
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