トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
歌枕・俳枕を行くー秋田1(男鹿半島・寒風山)
2003年11月21日


  
 県民歌に「狂瀾吼え立つ」と唄われた男鹿(おが)半島は、風俗、史跡、伝説、祭行事などの観光資源にも恵まれ、詩情豊かな場所で、多くの人びとを引き付けてきました。
 俳人大須賀乙字は、男鹿について「豪宕(ごうとう)の趣においては男鹿は十和田以上です。
男鹿は海抜2000余の本山を後ろに控へ、萌黄の草山と暗紫の樹帯とが、赭岩(しゃがん)さし黒岩の空に続いて、所所瀑布を落し、ミサゴの巣を巌頭に見るなど、想像よりもよい所です。…」と賞賛の言葉で紹介しています。
 日本海に突出した東西28キロ、南北20キロの男鹿半島はもとは1つの島でした。これが長い年月の間に米代川と雄物川が運んだ砂が、砂嘴(さし)〔沿岸流によって運ばれた砂礫が湾口の一方の端から海中に細長く堆積して堤状をなすもの〕となって包み込んでつくられたのが八郎潟です。
 半島からは遠く鳥海山、太平山、津軽の山々を眺望することができます。
  巌(いわお)ぬれ巌乾きぬ秋の風  石井露月
  高鳥の巌めぐり澄ます空の秋    大須賀乙字
 半島は、『古今和歌集』に詠われた、
  春日野はけふはな焼きそわか草の
         つまもこもれり我もこもれり
の山焼きで知られる古都京都の若草山を偲ばせる、雄大豪壮な眺望を有する寒風山があります。そのほか真山・本山の秋田杉の千古の美林、火口湖型の三つの清澄な水をたたえた神秘な潟、八望台、入道崎からは豪壮な断崖と広々とした草原美、南海岸の奇岩列石の景観美を望むことができます。また、西海岸一帯の奇岩・岩礁・小島の断崖美、造化の神の斧で造ったと思われるような凄愴な洞門の孔雀の窟、巨大巌門の大桟橋など、自然のおりなす壮大な美を満喫させてくれます。