象潟は、東南に聳える鳥海山のたび重なる噴火による泥流と海蝕とで小丘群が海中に生まれ、松島と並び称せられた景勝地でした。東西1・5キロ、南北5キロの入江で八十八潟、九十九島と呼ばれました。地名の由来はかってこの地は蚶貝(きさがい)が多く取れたことに由来し、蚶方から象潟に変わったといわれています。松尾芭蕉は、『奥の細道』で「俤(おもかげ)松島ににかよひて、又異なり、松島は笑ふが如く象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはへて、地勢魂を悩ますに似たり」と記しました。『奥の細道』紀行で干満珠寺と紹介されている蚶満寺境内には、1763年(宝暦13)芭蕉70年忌を記念して建立された「象潟の雨に西施がねぶの花」の句碑が建立されています。
この景勝地を守るため本荘藩は塩越奉行と島守を置いて、特別な管理を行なっていましたが、1804年(文化1)6月4日、鳥海山噴火によりマグニチュード7・1の大地震が発生、地形は一変しました。隆起は2・4メートルに達し、大小の島は陸地と化し、いまは102の陸島にわずかに往時の面影を偲ぶことができるだけです。
象潟の海のなぎさに人稀に
そそぐ川ひとつ古きよりの川 斎藤茂吉
蚶満寺植田さざなみ四方にして 山口 青邨
秋田・山形県境に位置する鳥海山は標高2236メートル、燧(ひうち)ヶ岳(標高2356、福島県檜枝岐村)に次ぐ東北第2に高い山で出羽富士と呼ばれ、北斜面は秋田県に、山頂は山形県に属しています。噴火の記録は578年が最古とされ、新山は1801年(享和1)誕生し、1821年(文政4)までに10数回噴火し、1804年(文化1)の噴火で象潟が隆起しました。1974年(昭和49)153年ぶりに火山活動がみられました。古くから山岳信仰の対象となり、中世は修験道道として発達しました。山頂(山形県遊佐町)には鳥海山大物忌神社があり、天慶(938〜947)頃から、出羽一の宮となっています。雪渓での夏スキーや朝日を浴びた鳥海山の影が日本海に投影される「影鳥海」で知られ、象潟、飛島(山形県)を含め鳥海山国定公園に指定されています。
おほとりの両羽を暢して空わたる
鳥海山は見るに尊し 平福百穂
暑き日は鳥海山の雪見かな 桃 隣
|