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みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
歌枕・俳枕を行くー青森4(十三湖・弘前・岩木山)
2003年12月12日


  
  十三湖は県北西部、津軽平野北端の潟湖で、湖の南は岩木川の三角州(円弧状)と接し、西は砂丘の間にわずかに通じた水道により日本海と連絡する汽水湖です。太宰治が小説「津軽」で「浅い真珠貝に水を盛ったような…」と表現した湖で、湖岸一帯は排水不良の湿地帯で、シジミ貝で有名です。十三湖の干拓は藩政時代から行なわれてきましたが、1948年(昭和23)以降活発に行なわれています。十三湖岸にあった湊が、鎌倉時代から安東水軍の根拠地となった十三湊(藩政時代は十三湊)です。
  媾曳の狼の原林檎咲く     保科その子
 弘前市は、林檎と桜とねぶたの町として知られています。地名の由来は、「広い平地の前(先、端)の所」ともいわれ、岩木山を望み、市街地の北西には岩木川が流れています。1611年(慶長16)津軽藩二代藩主信枚が高岡城(のち弘前城)を築き10万石の城下町として、明治以降は軍都として学都として歴史を刻みました。藩祖為信の御霊屋のある革秀寺、津軽家の菩提寺長勝寺、日本最北の五重塔のある最勝院、二の丸辰巳櫓・追手門などがいまに残る弘前城跡、1904年(明治37)旧五十九銀行本店として建てられたルネサンス風の洋館である青森銀行記念館など、江戸・明治の建物が溶け合う町として多くの俊秀を育て、文学の舞台にもなってきました
  七夕のねぷた祭は終へたれば
      秋の日のあつき弘前の街  四賀 光子
  ねぶた笛こころの澱み流しけり   渡辺乃梨子
 津軽の象徴標高1635メートルの岩木山は、津軽平野の南西部に聳える二重式火山で、津軽平野一帯を望むことができます。山頂は岩木山、鳥海山、巌鬼山の3つの峰からなっているので、眺める方向により異なった形に見えます。古くから信仰の対象の山で、白装束に身を固め、御幣や幟を立ててお題目を唱えながら岩木山神社を目ざす「お山参詣」が行なわれるなど、今でも多くの人びとの信仰を集めている山でもあります。1965年(昭和40)に8合目の駐車場まで9・8キロの津軽岩木スカイラインが開通し、8合目からはリフトや徒歩で山頂に手軽に行けるようになりました。山麓には岳、湯段、百沢などの温泉地も開けています。
  八乙女の一群憩ふ津軽富士    菅原静風子
 歌枕の地も俳枕の地も道が整備され開発が進むにつれて、その装いを変えつつあります。しかし、これらの地はこれからも私たちを過去、現在、未来に誘い続けてくれるのではないでしょうか。