トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
みちのく宮城に遊ぶー宮千代物語
2004年1月11日


  
 宮城県には、宮廷文学と結びついたような物語が残っています。仙台市宮城野区に宮千代という町名があります。この町名のいわれもそのひとつです。
 一千年以上も前のことですが松島の雄島に見仏(けんぶり)という偉い上人が住いし、そこに大変聡明な宮千代という少年が仕えていました。この宮千代はときどき歌を詠んでいましたが、いずれ自分も都に上って歌の道を極めたいと考えていました。師の見仏上人は都は危険が伴うということで宮千代が都に行くことを堅く禁じていたのですが、宮千代は都に上る思い断ちがたく、あるとき松島を出て一人都へ向かったのです。
 宮千代が宮城野原に着いたときは真夜中でした。真夜中の宮城野原で宮千代が目にしたのはたくさんの草の葉に降り落ちた露が月の光を受けて、まるで宝石をちりばめたようにきらきらと輝いている美しい風情でした。思わず歌心を誘われた宮千代は、
  月は露つゆは草葉の宿借りて
という和歌を口ずさんだのですが、なかなか下の句が出てこない。苦吟を重ねるうちに宮千代はそのまま息絶えてしまいました。
 哀れに思った里人は宮千代の骸(む/ろ)を懇ろに弔って塚を築いてやったのですが、夜な夜な幽霊が出るという噂が立つようになりました。
 そしてその幽霊は、「月は露つゆは草葉の宿借りて」と口ずさむというのです。その噂を耳にした見仏上人、ある夜宮城野原を訪れ塚の前にさしかかると、塚の下から「月は露つゆは草葉の宿借りて」という歌が聞こえてきたのです。
 すかさず、見仏上人「それこそそれよ宮城野の原」という下の句を供えてやったら二度と宮千代の幽霊は出なくなった。これが宮千代の町名のいわれであるという物語であります。
  月は露つゆは草葉の宿借りてそれこそそれよ宮城野の原
 宮城野から歌枕の宝庫、多賀城に入ります。