トップページへ仙台藩最後のお姫さまみちのくの文学風土
みちのくの和歌、遥かなりみちのくの指導者、凛たり武将歌人、伊達政宗
 
「抜粋のつづり」に感謝
2025年1月17日


 戦後の混乱期、私は6人兄弟の5番目の長男として誕生した。戦後の混乱期である。姉弟は家事をそれぞれ分担した。皆で畑仕事を手伝い一休みしていたとき、秋の空に乱舞する赤とんぼの姿は瞼に焼き付いている。当時NHKのラジオ番組で尋ね人の時間があった。必死に聞いている女の人の姿は今も忘れられない。昭和30年代中頃まであったと思う。昭和26年小学校に入学したが、弁当の持ってこられない人たちが多かった、お昼になるとそっと教室から出て行った。どんな気持ちだったろうか。その頃私は初感染に罹り、小学1年から2〜3年ごろまでは学校をほとんど休んでいた。放課後を利用して毎日先生がやって来て補修授業をしてくれた。心配した父は風呂の中で九九や歴史を教えてくれた。
 小学4年の時父は七面鳥を譲ってもらい私に与えてくれた。学校に行く前に餌を作り、授業が終わるとすぐ家に帰り七面鳥の餌を作った。だんだん体も丈夫になり、ニワトリ、ウサギ、やぎ、ハトなんでも飼った。親からはぐれたカラスの小鳥を育て、なつかれてしまった。また父の養蜂も手伝った。当時の子供たちは少しでも家事の役に立とうと考えたものだ。
 中学校に入った時『風と友に去りぬ』を買ってもらった、『大地』『路傍の石』『日本文学全集』『世界文学全集』と進んだ。最近では歴史を中心に執筆活動を続けている。良い本を読んでおくことは必ず役に立つものと思う。
 3年後26歳の時父が交通事故に遭う長い療養生活に入った。毎日病院から通った。最後は平成14年から7年間宮城県図書館長その後6年間同館顧問として、またNHK文化センターで講座を担当した。いまは日本文藝家協会、日本ペンクラブ、日本歴史時代作家協会会員として執筆や講演活動をしている。  こんな経歴をたどってきた私であるが、長い人生経験から振り返ってみると、一番何が大切であったかを考えてみた。
 極めて簡単な話である。健康であるということ、常識的であるということ、協調性があるということ、そして常に夢と希望を追い続けるということである。簡単なようで結構難しい。県庁に入った当時キャリア組みといわれて8人の仲間を見ると、現職中に2名の優秀な人が50歳ぐらいで無くなった。また30ぐらいから精神的にダウンした人もいる。県丁を退職しすぐ亡くなった人もいる。半分はこれからというとき心と体の病に倒れたのである。私は今も2時間犬と散歩をしている。毎朝4時に起床し、執筆、講演・講座の準備をしている。自分で言うのも変であるがどんどん元気になっていくような感じで生活をしている。土曜や日曜は梯子に登り樹木の手入れをしている。3月になるとミツバチの仕事にも追われる日々だ。
 次に大切なのは常識そして協調性である。いずれも当たり前のことのようであるが、非常識な人、協調性である。そういう人は真っ先に組織の中からはみ出してしまう。ただ本人には気づかないが学生時代友達との交流を通して、自身の持つ長所、短所をしっかりを把握し、今後に備えておく必要があると思う。そして常にチャレンジ続けることである。
 そのためにはまず自分になにかがあると思ってはいけない。まず、自分をゼロにすることである。自分に何かがあると思うから悩むのではないか。自分は大学に入るまではあるいは今も親からの支援があって生きてきたと思うが、一歩社会に出た出た時点で、自分はゼロであるという気持ちでスタートするのも一つの方法である。自分に何かがあると思った時点で自分は弱くなるものである。ゼロから自分の手で築き上げていくのが本当の自分のものであり、その積み重ねが皆様の人生ではないかと私は考えている。
 さらに加えていえば多角的な生き方をする必要がある。例えば教員や県庁職員の中には退職してすぐ健康を害し、病気になったりなくなったりする人が多いと思う。それは仕事が職場が全てであり、公私共に職場を中心に人間関係が構築されているからではないかと私は考えている。多角的な生き方をし、常に情報を張り巡らし、自分自身を磨きながらさらに高めていく努力をすることが必要である。
 長い人生の中でチャンスは必ずあるものだ。そのときそのチャンスに乗れるように怠りなく自分自身を磨いておくことが大切であり、日常から切磋琢磨を積み重ねて欲しい。
 皆さんにとって今必要なのは、良い友達、良い先生、良い本を沢山読み、それを通して自分自身を磨いていくことではないか。常に夢と希望を持って進むこと。そして失敗やいやな出来事はすぐ忘れ課題を先送りせず解決し、未来へ向け一歩一歩前へ前へ進んでいくことではないか。自分の人生をダイナミックに築いて欲しい。