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仙台大学で「歴史と人間」を講義していた時、台湾から留学してきていた女子学生がいた。みな「テンちゃん、テンちゃん」と慕われていた愛くるしい学生であった。当時、私は登米市登米町から柴田町にある仙台大学まで車で通っていた。火曜日1コマ、水曜日2コマの講座を担当していた。彼女は火曜日の二コマ目を受講していた。彼女は時間があると私のいる図書館に何時も遊びに来た。講義の後、何時も台湾から来ていた彼女らと食事をした。車で通っていた私は、余さん等を連れていろいろな所を案内した。テンちゃんを除いた台湾の学生は午後の講座も受講していたので、テンちゃんと二人で行動する機会が多くなった。私は彼女を車に乗せていろいろな所へ連れて行った。もちろん時間の取れる台湾からの留学生も同行したが、大半はテンちゃんであった。阿武隈川の船下り、角田の高蔵寺、松島の遊覧船、山寺、仙台市博物館、宮城県図書館、平泉、時々の私の家への宿泊した。ある時、テンちゃんから先生の娘になりたいといわれた、もっろん快諾、伊達晴子と日本の名前を与え、テンちゃんは大喜びした。時間の流れは無残なものである。仙台大学を卒業し彼女は仙台大学の修学を終えた、大学での彼女との最後の別れの挨拶を受けた、若い娘である。大学の校内の出入り口で彼女は私に泣きじゃくりながら抱きついてきた。みなの視線が気に掛かる私は彼女をたしなめながら校門まで送り別れを告げた。彼女は泣きながら大学の校門を後にした。私は彼女の未来に幸多いことを祈りながら、彼女に別れを告げた。
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